それ以後実の兄は武司に距離を置き始めた。武司にしてみれば誰よりも大切な奥田君を守りたい一心だった。

最近はいわゆるいたずらっ子という子供を見かけなくなった。「わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい」というかつてのコマーシャルのコピーではないが、行儀がいい反面、子供らしい無邪気な様子も見られない。

おとなしくテレビゲームやスマホで一人遊びをする現代の子供とは対極にこの頃の武司はあったようだ。

いずれにせよ、小学校入学当時の悩める少年は、奥田君と知り合ったことをきっかけに次第に交友関係も広がり元気に遊び回るようになってゆく。

好奇心赴くままに

武司の興味の範囲は広がってゆく。

自宅近くに「ミリオン座」という映画館がオープンすると、武司は一人でよく見に行った。三本立てで入場料は子供六十円、十五円のラムネと、五円の煎餅を買っても八十円、エアコンもなく、その上、換気が悪いので、三本の映画を見終わる頃には、観客全員が頭痛を味わうという時代でもあった。

さらに六年生になる頃から好きになったのがなんと落語だった。通学路でもある上野広小路には「鈴本演芸場」があり、武司は大人に混じり寄席通いを始めた。木戸のおばちゃんに「坊や落語が好きだねえ」としきりに感心された。

鈴本の二階席は畳敷きで割増料金を取られたが、一階席は団体が来たり騒がしく、二階で見てこそ落語は面白いと、子供のくせに「通」を気取っていた。テレビで見る落語や漫才は、放送コードの制限があり面白くない、寄席の落語こそ本当に面白いというのが、小学生の頃からの武司の持論であった。

ただし寄席通いが過ぎ、またもや母から「寄席へ行くのはよせ」との禁止令が出るオチがついてしまう。

このくらいの好奇心ならばそれでもまだ平穏であったが、これがさらにエスカレートしてくると親もついには黙っていられなくなる。

 

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