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第一章 企画と失敗を繰り返した幼少期

好奇心赴くままに

武司の好奇心はやがて家庭争議の火種となってゆく。

その一つに「ボート事件」があった。

それは武司が文京区立第四中学校の三年生の頃の話だ。湯島小学校から同じ中学へと進学した奥田君とは相変わらず仲よしだった。

武司の家は隅田川のすぐそばにあったが、さかのぼっていくと千住大橋に行き着く。このたもとに貸しボート屋があった。

武司の父が家業の作業場として使っていた家がこの近くにあったから武司には土地勘があった。武司は奥田君を誘っては手漕ぎボートや小さな船外機のついたボートに乗りたくて足繁く通っていた。

そのうち、いつでも好きな時に乗れてもっとスピードの出るボートが欲しいと欲求は膨らんでゆく。

武司は奥田君にある計画を持ちかけた。

奥田君に五万円ほどの金を用意できないかと相談した。

昭和三十年代、中学生にとっての五万円は大金だ。何しろ大卒初任給が二万円前後だった。

おそらく奥田君は親に内緒で家の金を持ち出したのかもしれない。とにかくその現金の大半を奥田君が用意してきた。二人は、その「大金」を持って平和島へ向かった。

競艇で知られる平和島ではレースで使い古したボートを処分するため売りに出ていることを二人は知っていた。正規の払い下げもあれば整備係の小遣い銭稼ぎのようなものもあった。

二人はあちこちに修理跡がある競艇用ボートとかなり古い船外機を買い求め、運送屋で雇ったトラックで引き取った。

さてこの宝物をどうするか、あの面倒な母に知られればまたストップがかかることは目に見えていた。

なんとか隠しておきたい。

武司が考えたのは天井から吊るしてしまおうということだった。

千住の家は車庫が屋内にあり、その上が住居スペースになっていた。雇ったトラックの運転手と住み込みの従業員に手伝ってもらい、あらかじめ準備していた滑車とロープを使って、ボートを天井の梁から吊り下げたのだ。

よし、これなら車を車庫に入れることもできるし、母親にもばれる心配もない、はずだった……。