OFFICE KOKUBU

今度の再出発は正真正銘の単独行動だった。ミャンマーでは、国民が必要としている電力の三割が不足していた。インフルエンザで処方されるタミフルも確保されていなかった。学校も教師も足りない。とにかく日本に有って、ミャンマーに無いものは、たくさんあったのである。

ヤンゴンの仕事で苦労したのは、経験のある人材になかなか出会えないことだった。足りないことは試練であると同時にビジネスチャンスでもある。

自分のできることは自分でやるしかない。問題は僕がビルマ語を話せないことだった。僕は通訳スタッフを探すことにした。

この国が英国に植民地とされていた歴史からか、知識層は英語を話した。大学生など巷で英語を話せる若者も多かった。そのためまったく困るということではなかったが、それでもビルマ語が話せたら便利な場面は少なくない。

そこで、日本語能力試験は三級程度でもいいので仕事の基礎的なお手伝いをしてくれる通訳がいてくれたらと考えた。僕は現地スタッフ探しをイベント現場の責任者だった佐々(ささ)さんに相談していた。彼はヤンゴン生活が長く、ミャンマー人の気質も僕よりずっと深く理解するヤンゴン生活の先輩だった。

「そうだねえ。今、フリーで仕事を探している若い子から一人を選ぶというなら、絶対ニンだね。あの子は人の見ていないところで仕事をする子だった。あの子なら間違いないよ」僕は迷わずニンを採用した。

こうして翌日からニンと二人三脚で新事務所の環境作りが始まった。

事務所はミンガラゼイの大きな交差点近くで雑居ビルの二階だった。一階はインドの手作りのお菓子を売る店で、日常生活に必要な水などを購入した。

部屋は小さかったが事務所兼一人暮らしには充分だった。バスの路線はいくつか通る場所だった。しかしどこがバス停なのかはさっぱりわからない。翌朝、どうすればあのバスで時間通りに来られるのか不思議だったが、ニンは時間通りに出社した。

「おはようございます。昨日は眠れました?」

「大丈夫。でも朝方にイスラム教のお祈りが大音量で流れてきたけどね。慣れればいいのかな」この近所では、仏教もイスラム教も街宣車みたいな車が大音量で街中の人々にお祈りを聞かせていく。

このころ、ローカルニュースに、こうしたお祈りがあまりに大音量過ぎて我慢できなかったのか、街宣車に上って音源のコンセントを引き抜いた西洋人が逮捕されたことがあった。

彼の気持ちもわからなくはなかった。事務所開設初日、購入したデスクや椅子などを並べていると、最初の電話が鳴った。街は一日中ラッシュアワーみたいな喧騒のなかだった。