徳三郎の顔はよく見知っているので、門番はすぐ門を開け彼を通すと、徳三郎は手綱を門番に渡し、この時の江戸家老長野業賢の居宅に向かった。

「直元様のご容態がおもわしくないと?」

取次から話を聞いた長野は自分で玄関まで出てきた。

「すぐ参る、それにて待て」

そういうと、長野は奥に入り袴と羽織を着て出てくると、徳三郎を連れて殿のいるご寝所に向かった。

藩主はすでに寝間に移って就寝までのひと時を晩酌しながら過ごしているところであった。長野はふすま越しに言った。

「殿様、中屋敷から直元様のご容態が非常にお悪いとの知らせでございます。すぐお見舞いにお出かけならば、御供の用意をいたしますが、いかがいたしましょうか」

殿はすぐに返事をしなかった。しばらく思案しているようであった。

「使いには誰が参った」

「田中三郎左衛門のせがれ徳三郎でございます」

「徳三郎か。そこにいるのか?」

「はい、ここに控えております」

「徳三郎、戻って三郎左衛門に伝えよ。明朝、見舞いに行くとな」

「はっ、かしこまりました」

徳三郎はその場から急いで戻ったが、ご家老はしばらくその場に残り殿と何か相談している様子であった。

殿が中屋敷に大勢の供を引き連れて見舞いに来たのは翌朝四つ時だった。

その時には直元は危篤状態で意識はすでに混濁しており、話もできなかったという。

直元が息を引き取ったのはその日の午後だった。

その夜殿は中屋敷に泊まることになったが、江戸における藩の政務・庶務を扱う重臣たちが呼び集められ、夜遅くまで何事か話し合っていた。

途中、目付西堀太郎左衛門と使番の久保田又一が呼ばれ、やがて奥から出てくるとあたふたと去って行った。

後でわかったことだが、国元への急使として国元の家老たちに直元の死を伝えるとともに、御世継ぎとして直弼を立てることが決まったことを伝えるためであった。