2日目、22日午前中は暫く自由行動の後、リムジンにてワイパフ(Waipahu)のハワイプランテーションビレッジに向かい11時頃に着いた。
そこは、日本人が初めてハワイに移民し、サトウキビ畑をしていた所だ。ハワイ人が病気で90%亡くなり、労働力を求めて東南アジア(中国、日本、韓国、ポルトガル、ベトナム、沖縄など)から来ていた。
日本は明治維新(1860年)の頃、刀狩で武士達が行ったそうだ。当初は150人、自由移民として行き、⑪第7代カラカウア(Kalakaua)国王が1881年に訪日し、明治天皇と移民条約を交わし、23万人が移民した。
1回目のハワイ官約移民は1885年山口県、広島県、熊本県など西日本から多く移住し、1930年頃から、草葺き屋根の家を造り、日本から妻を貰い、二世三世と現在に至っているそうだ。
その場所には、中国、日本、韓国、ポルトガル、ベトナム、フィリッピン、沖縄などの人々が住んでいた町でそのままの家が残されている。
そこは、散髪屋、豆腐屋、寺院、集会場、医院、土俵、お菓子屋などがあり、お菓子屋には“オアフシュガー1897”という店名が書いてあった。
ハワイ州は、人口の20%が日系、フィリッピン系が20%である。緑が多く、口紅の木、水仙の葉のようで香りが良いレモングラス、猫のしっぽの木、⑫クラウンフラワー、白い綿の木、⑬キャノンボールの木、バナナの実のようなピアスの木、⑭ノニ、黄色のプルメリア、ジンジャーなどがあった。
当時は子供が生まれても30%が亡くなった。今はサトウキビ畑はなく、その後パイナップル畑、コーヒー農園、観光施設へと変わっていった。ここで、日系人の方に説明を受けたが、先生から更に詳しく教えて頂いた。
試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。
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