【前回の記事を読む】「クモ膜下出血だったんです」――秋晴れの日に掛かってきた1本の電話。それはとしゑさんの娘さんからで...

としゑさんの喫茶店と私

コロナ禍になって、2階は使わなくなり、日替わりランチは予約のみ、焼き飯とオムライスが増えていた。黙食は私は慣れていたが、仲間たちは慣れずに大きな声と笑い声を出して「ごめんなさい」と必ず誰かが言っていた。

私はトマトに行き続けていた。15年経ち、突然のとしゑさんからの閉店宣言。「今年で店を18年続けてきたけどやめる。決めたんや」

「そうなんか」いつまでもあると思うな……。という言葉が過った。コロナ禍を乗り切れたのに、としゑさんも私も、老いには負けた気がした。

流動物しか口に出来なかった私が、日替わりランチのお鉢に出会い、食することが出来るようになったことに感謝しかない。昔から食が細く、親からも主人からも、もっと食べなあかんよ。と言われていたのだ。その挙句、病気になってしまった。

食の大切さを教わった。作ることもたくさん教わった。としゑさんの料理は世界遺産だ。私はそう思う。

家では、退院してからずっと生野菜ジュースを続けて飲んでいる。

長男が某大学の先生が書いた本を買ってきた。何種類かの野菜のスロージュースを飲んでガンを克服したという内容だった。

「お母さん、この本読んでやってみたらいいよ」

本の中の野菜の5種類(小松菜、人参、りんご、トマト、きゅうり)を選んで今も家族全員、毎日1人200cc飲んでいる。

家族全員健康でいられるのは生野菜ジュースのおかげだとも思う。

今週の木曜が最後の日と分かって、愉快な仲間たちでサプライズを計画した。小さなくす玉とクラッカーと大きなケーキ。指が出る手袋、五本ゆび靴下、暖かそうなポンチョをプレゼントした。

としゑさんと楽しい時間をお店で過ごした。それから半年後、としゑさんのお母さんは亡くなった。としゑさんは「母さんの看病が出来たから、お店をやめてほんとに良かった」と言った。

トマトは、私の人生の休憩所だった気がする。先日、としゑさんの家に遊びに行った。

「としゑさん、としゑさーん」と呼びかけたら、庭の奥のほうから「はーい」といつもの笑顔と声で顔を出してくれた。何故か、安心した。帰り道、夕日が沈みかけていた。いつもの場所でジョウビタキのヒィヒィと鳴く声がした。

空が青暗くなるまで、海を見ていた。ハワイ島のワイカとよく似た道を通って、ゆっくり帰った。最近、2人で老舗でのアルバイトを見つけた。これからも私ととしゑさんの仲は続いていきそうだ。