ワールドツアーとショービジネス
アメリカで3日間行われたグリーク・シアターでの詳細から辿っていく。
1979年5月、アメリカで『Yellow Magic Orchestra』がA&Mのレーベルであるホライゾンレコードから発売された。
アメリカA&Mの社内でトミー・リピューマがそれを聞いているときに、通りがかったザ・チューブスのマネージャーが興味を持ち、8月2日から4日まで行われるザ・チューブスの前座にどうかという提案をした。
その提案を聞いた村井はすぐにアメリカでのYMOライブ出演に動き出す。渡航費、楽器や機材の輸送費など巨額の費用が必要である。
特にモーグⅢ-Cを始め巨大なモジュラーシンセサイザーもあり、人件費を併せて億単位の費用がかかる。日本では前例のない規模の渡米となった。松木は次のように述べる。
「YMOは早くもLAで初の海外公演を体験することになったのだ。(中略)3000人ほど集まった音楽ファンたちは、『ビハインド・ザ・マスク』で始まったYMOのオリエンタルなテクノポップにスタンディングオベーションでこたえ、前座としてはかなり珍しいアンコールが起きた。チケットは3日間すべて完売し、取材にはニューズ・ウィーク、ビルボードなど多数やって来た5」
1――門間雄介『細野晴臣と彼らの時代』
2――門間
3――「God Save The Queen」などヒット曲多数のパンクバンド。1978年ジョニー・ロットンが脱退し事実上解散。映画『シド&ナンシー』でも知られるシド・ビシャスは翌79年麻薬中毒で死去。
4――吉村
阿木譲は音楽評論家。1976年大阪で創刊された『ロック・マガジン』編集長。
5――松木
次回更新は4月6日(月)、20時の予定です。
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