【前回の記事を読む】内容は完全秘匿。何が行われているのか、YMO以外誰も知らない。数ヶ月後、ディレクターは完成した音源を聴き、愕然とした
DiscI YMOバイオグラフィー
Track1. 突如出現した電子音の魔法
新しい波の源
今までにない音楽を創るという意味で、YMOのジャンルを細野は〈メタ(超)・ポップス〉と名付けた。
細野は語る。
「トミー・リピューマにプロモート用のメッセージを送ったんだ。
内容は、自分としては、この音楽をメタ・ポップスと呼びたい。我々の目標は、メタマー(変形態1)」
トミー・リピューマはA&Mのプロデューサーであり、副社長でもある。
メタはメタファーのメタでもあり、メタモルフォース(変化・変身)のメタでもある。
こうして、1978年11月25日発売となったこのデビューアルバムだが、あまりにも斬新すぎて売れないと読んだ村井は初回ロット数を3000枚以下にする。しかしそれでもかなり売れ残った。
YMOは日本では売れなくてもアメリカでのヒットは期待できると読んだ村井はA&Mに『イエロー・マジック・オーケストラ』をアメリカで発売させるべく動く。
アルバムを発売して直後の12月初旬に新宿の紀伊國屋ホールでA&Mのアーティストと共同のフュージョンフェスティバルが9日間にわたって行われ、YMOはそこで実質上の初ライブを行う。
YMOのお披露目ライブである。ただしチケットを売るために、出演者名は〈細野晴臣&イエロー・マジック・オーケストラ/ニール・ラーセン〉であった。
細野晴臣には一定数のコアなファンがおり、350名ほどの客席ならば売れるのではないか、と村井は考えたのだ。
予想通り〈細野晴臣&イエロー・マジック・オーケストラ〉の出演する2日間は即完売となった。集まった観客が期待したのは細野晴臣の新曲であった。