1980年にYMOのマネジメント会社ヨロシタミュージックに入社した、現音楽プロデューサーの藤井丈司(たけし)は「トミー・リピューマは1週間のライブのほかのバンドをすべて見て、最終的にYMOだけがアメリカで可能性があるとのプロデューサー判断で決めた」と語る。
しかし、副社長とはいえ1回ライブを見ただけで、日本のアーティストの全米発売が決まるものだろうか。
YMOのアメリカデビューはライブより前に決まっていた、という説もある。
このライブのCDが1993年に発売されたのだが、そのCDのライナーノートに、「アメリカ発売(中略)実はこのライヴが行われる以前に決定していたらしい4」と書いてある。
「らしい」という表現が曖昧だが、おそらく真相はこうであろう。
アルファのアーティストもアメリカ発売をするという双務契約を村井はA&Mと結んでいたので、そのアーティストにYMOの名前が入っていた可能性は大いにある。
ただ、音源も聴いていないのに、発売決定という確約は取れていなかったはずである。全米発売となれば巨額の金が動くからだ。
そこでトミー・リピューマがこの時のライブを聴いて初めてYMOのアメリカデビューが決定したのではないか。
逆に言うと、先にYMOとの契約の下地があったからこそ、このライブを見てトミー・リピューマが全米発売の最終決断を下したのではないか。
双務契約とライブ鑑賞の両方があってこその決定だったのではないかと考える。
話題性としては川添の作戦で決まったとした方がドラマ性があるのでその説が一人歩きしたのであろう。ともかく全米発売は決まった。
1――『レコード・プロデューサーはスーパーマンをめざす』
2――吉村
3――川添
4――佐藤公稔「ライブ・アット・紀伊国屋ホール1978 ライナーノート」
次回更新は4月5日(日)、20時の予定です。
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