【前回の記事を読む】高橋幸宏が語ったYMO小話。1978年2月、深夜に細野の自宅に集まった3人。こたつに全員で入って、なぜかおにぎりを食べながら…

DiscI YMOバイオグラフィー

Track1. 突如出現した電子音の魔法

誕生前夜〜キャンティとアルファレコード

村井・川添は世界で通用するのはディスコミュージックだと考えていた。

1978年は世界的にディスコミュージックが流行しており、しかも「ヒット曲では、アーティストの国籍や民族はほぼ頓着されなかった1」のである。

当時ヒットしていた『ジンギスカン』という楽曲のアーティストはモンゴル人なのかどうかわからなかった(実は西ドイツのユニットによるもの)ほど、誰も国籍や民族を意識していなかった。

細野も同調し、ファーストアルバムのコンセプトは決まった。〈無国籍〉である。

 

「無国籍・多国籍な雰囲気を内包する音楽を、(中略)〝この世にあらざる音色〟と、どの民族にも所有されず逆に世界のどこでも共有される(中略)新しい時代の音楽にすること。

どの世界にも属さないがゆえに汎世界的となる音楽を創造するもの2

 

と細野はいう。

村井や細野がキャンティで共有したコスモポリタニズム(世界主義)が、どのように〈無国籍〉へとシフトしたのであろうか。