新しい波の源
YMOのレコーディングは1978年7月から9月まで約2ヶ月かけて、細野プロデュースのもとにアルファのスタジオで録音された。
これには村井も川添もまったく関わらず、音源が出来上がるまで二人とも何が起こっているのかは細野にお任せだった。
音楽業界でプロデューサーはアレンジメントやミキシングについて細かく制作する立場であり、ディレクターは宣伝、予算など全体的なことを統括する。
とはいえ、ディレクターやプロデューサーの領域は属人的であり、お互いの領域に踏み込み合うこともある。
YMOにおける細野のプロデュースは、ディレクターはおろか外部の誰も踏み込めない領域となった。細野は下記のように述べている。
「イエロー・マジックの場合には、伝えようがなかった。
(中略)ぼくの作ったものを信用してもらうしかない。だから放ってもらうことにした(中略)
やっぱり他人にまかせられないという気持ちがいちばん強い3」
こうしてYMOだけで出来上がった音楽が完成する。それはシンセサイザーを駆使した〈この世にあらざる音色〉で、全く新しいものであった。それを聴いて、村井と川添の二人は愕然とする。
川添象郎は当時の様子を下記のように回想している。
「数ヶ月後、村井邦彦から電話が来た。
電話口の村井は何やら困ったような声音で『細野に任せて例のアルバムが完成したんだけど、ちょっと聞いてくれないかな』と言う。
さっそく村井の事務所へ赴くと、『これなんだよ』と彼がかけたテープから聞こえてきたのは『ピッ、ボッ、ブー』といった調子の奇妙な電子音であった4」
二人の困惑と同様、メディアもこの先進的すぎる音楽を持て余し、ラジオやテレビで扱ってもらうことができなかった。プロモーションが成立せず、売れる見込みもまるでない。
しかし村井はYMOのレコーディングと同時期、日本の音楽業界を揺るがす大きな契約を結んでいた。
相手はアメリカの大手レコード会社A&Mである。キングレコードとA&Mの提携契約が終了したタイミングで、A&Mと提携したのだ。
A&Mはカーペンターズ、クインシー・ジョーンズ、などビッグアーティストを多く抱える。
村井の凄いところはA&Mのアーティストを日本で売ることだけではなく、日本のアルファの音楽もA&Mで売るという双務契約を結んだことである。
1――吉村
2――吉村
3――細野晴臣『レコード・プロデューサーはスーパーマンをめざす』
4――川添象郎『象の記憶』
次回更新は4月4日(土)、20時の予定です。
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