これは音楽ライター/編集者の門間雄介によるレコーディングの様子であるが、高橋に影響され、細野も坂本もニューウェイヴに興味を持ち始める。

ここで注目したいのは「ニューウェイヴ」をYMOのメンバーが意識し始めたことである。

ニューウェイヴはロンドンから発生した音楽のジャンルで、70年代後期のイギリスロックと言えばセックス・ピストルズ3に代表される〈パンク〉がサブカルチャーの主流だったが、70年代末には急速に衰え、〈ポスト・パンク〉として電子音楽を含む広義な意味で、まさに〈新しい波〉が押し寄せるように次々と生み出される新たなロックのことである。

高橋は親しくしていた音楽雑誌のロンドン駐在記者からさまざまなカセットテープを送ってもらい、細野に聞かせていた。

細野は2枚目のアルバムはディスコミュージックから脱却し、イギリスのニューウェイヴを取り込むことにする。こうして1979年5月に完成した2枚目のアルバムは9月に発売となる。

またこれまでYMOはメタ・ポップスと呼んでいたが、その理念は変わらないが、2枚目のアルバムからはYMOのジャンルはテクノポップとなった。

「テクノポップは1978年に音楽評論家の阿木譲が生み出した造語で、(中略)阿木譲との対談で細野晴臣は知り(中略)1979年後半にはこのテクノポップという用語を使うようになった4

ニューウェイヴとテクノポップの2つの代名詞がYMOに付随するものとなったのである。その2枚目のアルバム発売前の8月にYMOは急遽アメリカで3日間、ロックバンド「ザ・チューブス」のコンサートの前座として演奏することになり、大好評を受ける。

その勢いで10月から約1ヶ月に及ぶ、欧米を股にかけたワールドツアーを敢行する。

壮絶なスピード感でグローバルへの扉が開こうとしていた。