藪の村、筍、鎮守の宮、その宮裏の東作、菩提寺の父の墓所。ああ五年振りの帰省ということは、どんなにまでお近に懐かしい思いをさせたろう。然るに現在帰って見ると故郷はまたお近の夢みていたような故郷ではなかった。

昨日嫂(あによめ)のお兼と墓参にお詣りした檀那寺の住持(じゅうじ)は、六十の禿頭の手前も顧みず、近頃年の若い梵妻を抱えたということを聞いてまず驚いた。檀那寺は本堂に大きな木魚の懸かっている禅宗の末寺である。お近は浅ましいことだと思った。

それからまた嫂は、二、三年此の方大分藪が開かれて田になったけれど、皆荒地で十分に米が穫れないことや、村一番の藪持ちの東作殿も、今年は藪を売りなさるそうだから、段々と村に藪が少くなるというようなことも話した。

藪がこんなに取り払われるのは、つまり村が次第に痩せて行くのだと、お近はいよいよ情なく感じた。そして「東作さんまでが藪を売るんだって――」と胸を轟かした。

母家の方でキリキリと桔槹(はねつるべ)を上げる音がする。いつの間にか初夏の夜は静かに開けていた。然し電車の軋(きし)みも汽笛の唸(うな)りも聞こえぬ。お近は何となく物足らぬ感じがした、と同時に強い力の籠もった都会の―五年以来馴れて来た―朝の活動ということが、此の時鋭くお近の頭脳に反射した。

 

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