短篇
藪の村
上
母家で一番鶏の鳴く時分から眼が覚めて、お近は苦しそうに幾度も寝返りを打っていた。屋敷の前も後ろも深い藪続きで、暁方の微(かす)かな風にもさらさらと笹葉のざわめく聲(こえ)が、久しく藪の村から遠ざかっていたお近の耳に触って、猶(なお)のこと睡(ねむ)られなかった。
東京の某商家に縁付いているお近は、五年振(ぶ)りで生家に帰って来たのである。
ふと窓外の石塊道(いしころみち)を、ガッタンガッタンと重そうに曳いて行く荷車の音が耳についた。町へ筍を運び出すんだ、とお近はすぐ覚(さと)った。一台また一台と荷車は続いて通る。
昔は町へ売り出す筍車がこの時節には毎朝七、八台も続いて、何れも威勢のよい懸け声で通った事を覚えている。それに今はどの車も、皆な疲れたような懶(けだる)そうな轍(わだち)の音をさして、厭々曳きずって行くようだ。こんな事では市場から町の人の白い手に渡って、そこらの台所で着物を脱がされる筍の肩身も狭かろうと、お近は妙に一種の軽い淋しみを覚えた。
「村の名物が年々に廃(すた)って行く」と六年前に死んだ父が、口癖のように言っていた。お近の家は藪持ちであったけれど、かつて庄屋を勤めたこともある亡父の茂兵衛は、村の富と藪ということについては、大に意見を有(も)っていた人である。
それが近年は追々と藪が開拓(ひら)かれて田となり、畑となり、そうでないものは家の建った処もあり、鉄道が開けるというので、現に工夫が毎日鶴嘴(つるはし)を入れている処もある。
「筍が出来なくなったら……」とお近はまた考えた。亡父の言った言葉がまざまざと胸に浮かんでくる。
藪が無くなれば百姓は米を作っても麦を耕してもよい。野菜を植えてもよければ、草鞋を編んだり、縄を綯(な)ったりしていてもよい理(ことわり)である。然しお近は、こんなにして村の態の改まって行くということが、何だか自分の幼(ちい)さい時からの追懐を片端から、一々掻(か)き消されて行くように思われて限りなく傷心(いたま)しかった。