【前回の記事を読む】会社に停まっていた“白の高級車”が破壊された…「ガラスはめちゃくちゃ、ボンネットはボコボコ。しかも車内には……」

おごそかな挨拶

新島は現場事務所で一人、過去のファイバー一係の業務実績を調べている。業務実績といっても調べているのは前任の係長、坂下の仕事ぶりだ。

納期遅れは一日平均で五件、歩留まりは六十パーセント。良い数字とはいえないが坂下の影は見えてこない。坂下の影といえるか不明だが目に留まった事柄がある。

それは在任期間が七ヵ月と短いことだ。七ヵ月在任して体調を壊し会社を辞めている、普通にあり得ることだ。あり得ることだが坂下は七ヵ月間、黒沼だけを懐疑の眼差しで見ていたような気がする。

坂下と黒沼の間に何かあったのか? 黒沼が信用を失う何か……。コップ花瓶の黄色い花を眺め、思案に耽っていると近藤と渡辺がやって来た。

「最近変なことありませんでしたか?」渡辺の問いかけは唐突にきた。

「最近……?」

新島が答えに窮していると、

「第二工場で、止めておいた車がメチャクチャ壊されました」

「ああ」

「何もなければいいけど、同じ会社に起こったことだしこの時期注意してください……毎年だから、マジ」

ヤンキー調の言い回しで近藤が言い含めてくれた。

「毎年ですか?」

「そう、一〇〇パーこの時期です」

近藤には何か思うところがあるようだ。

「何かあるのですか?」

「何ってことはないけど……黒沼の奴、なんか変わったところないですか?」

「そう言えば、最近よく目が合います」

「目ですか。一応気をつけたほうがいいですよ、マジ」

二人は不穏な空気だけを残して戻っていった。

そう、最近黒沼と不自然に目がよく合うのだ。思い詰めたように黒沼が自分のことを見ていることが多い。それが不穏とは思わなかったが、違和感はあった。

何か言いたいことがあるのかな? そんな風に思っていたが、改めて注意してくださいと言われると穏やかではない。

早い出勤。黒沼の出勤よりさらに早い時間に新島は出勤した。現場事務所で一人、口をつけないままのコーヒーを前に決断できないでいる。

十年あまり身を置いた研究所、学歴格差の中で新島は劣等感を隠し生きてきた。隠せば隠すほど心の底に沈殿してしまう劣等感、卑屈さと羞恥心をない交ぜにしたような汚い澱(おり)。

研究所にいながら唯一人研究員でないという疎外感もあった。そんな新島が新しい職場に来て黒沼という人間と出会った。誰からも相手にされずいつも独りの黒沼。彼の身になって考えてみると絶望しか見えてこない。

人が生きるために必要な、喜びとか生き甲斐、それはあるのか? そして新島は決めた。

──君は独りじゃない、私が見ているから──

兄貴のようになりたいと思った。黒沼の歩く道が、新島が歩いてきた道と似ているように思えたからだ。そんな黒沼が少しずつ追い詰められているのを感じる。

毎日誰よりも早い時間から仕事の準備をしている人間がたった独り、無抵抗のまま罪を被されようとしている。洗浄機の怪を明らかにしなければ……。

新島は洗浄機の構造を徹底的に勉強し、マニュアルを読み返した。そして今朝、検証すると心に決めて出社したのだが、ここにきて迷っている。生来の弱気の虫が顔を出し始めている。

坂下係長が間違いないと言い切った、洗浄機に妙な仕掛けをしている説。万が一、坂下説が事実なら黒沼を処罰しなければならない。