「おーい、手伝え」と主人の大きな声がキッチンの奥から聞こえる。女将は大きめの体を揺らしてその場を離れた。

クリニックで困っている事はないかと聞かれ、問題ない事を伝えた。

私はこの仕事が好きだし、先生の方こそ身体を壊さないようにと気遣うと、微笑みながら心配してくれるのかと、嬉しそうだった。

間もなく女将が体を揺らしながら、二人分の料理を運んできた。

まずは肉の大きさに感動する。唐揚げから頬張ると醤油の香ばしさと生姜の余韻は嬉しい。「美味しい」。

私は正直な顔をしているらしく、向井は満足げで「春ちゃんは好きなものを最初に食べる派だね」と言った。

こうして他愛のない話でも、顔を突き合わせて会話したのは初めてだ。相手が大人だから楽だったのだ。その時はわからなかったが、後になって向井の懐の大きさを思い知ることになる。

店を後にして車は上板橋方面へ向かう。

差し支えなければ、次回はうなぎ食べに行かないかと提案された。しかしまたしても顔に出たようだ。

それにすぐさま、返事は今でなくていいと私の答えを慌てて遮った。

私はなぜ食事に誘うのか深く考えたくなかった。ともかくお礼を言い丁寧に頭を下げた。向井はあっさりと手を振って、また明日とだけ言い去っていった。