歴史調査報告02 石塚山古墳と失われた王朝
石塚山古墳と失われた王朝福岡県苅田町の石塚山古墳は、国内で最古級の前方後円墳だ。ここに眠っていた三角縁神獣鏡は、同じ工房で造られたものが九州から畿内に至るまで十ヶ所以上の古墳から見付かっている。前方後円墳と三角縁神獣鏡は、物部王朝の象徴そのものだった。
福岡県苅田町は、北九州市の南東に隣接し、工業が盛んな町だ。平尾台を構成する山々と周防灘に挟まれた細い台地に工場や住宅街がひしめいているのが特徴的といえる。
またこの町には気になる古墳が多く存在するが、ここではそのひとつに絞って話を進めたい。
苅田町役場の隣にある石塚山古墳(三世紀中)、青年時代のわたしは何も気にせずにその前を通り過ぎていた。
それにしてもこの巨大な古墳が、これまで十分に管理されることなくきたのは残念なことだ。このような巨大古墳の被葬者はともかく、その子孫も今となっては分からなくなっている。
これはどのような現象なのか、石塚山古墳についていろいろな角度から歴史調査を行ってみたい。
なぜ巨大古墳を管理する子孫がいなくなってしまったのかという疑問へのチャレンジだが、今回もまた難しい調査になるだろう。
国内でも古墳時代初期として極めて巨大な古墳の祭祀を行っていた人々がいなくなったということは、何を暗示しているのだろう。
果たして彼らはどこに行ったのか。それは驚きの調査結果であった。
図6 石塚山古墳