尾張統一、そして小牧城へ

◆永禄6年(1563年)7月頃

小牧山周辺には、続いて出城がたくさん出来た。その効果としては、敵方から見れば、小牧山を中心に敵城がにょきにょきとタケノコのように出現したことになる。

出城は、美濃の敵地、於久地域までわずか40キロほど先にもできた。

敵方は、小牧山から見下ろされることになり、意気消沈し、『これでは守備できない』と判断され、一目散に犬山城へ逃げたこともあった。

信長の人心掌握(じんしんしょうあく)と戦術が、想定より上回る結果を促した。

信長は実に戦略的で合理的な思考の落ち主だったと言える。そのあたりが信長は実にうまいのである。

ほどなくして、小牧城は完成した。信長は勿論、家臣の引っ越しも無事に完了した。

軍議が終わり藤吉郎は、天守から城内の敷地内にある自分の館に戻った。

「帰ったぞ。寧々、母様、みなおるか?」

しかし、返事がない。

「はて、何をやっておるのかの。腹が減ってきたぞ。今朝から何も食べておらん」

藤吉郎が不思議に思っていると、土まみれの顔をした寧々と母様が帰ってきた。

「なんだあ、その恰好と泥まみれの顔は?」

「おお、今帰ったか。今な、大根を抜いておったところよ。土がいいから太くて旨い大根ができるんよ。知っておるか、冬寒く、土がいいから美味しいぞ」

笑顔でいうと2mはありそうな守口大根を見せて母様は笑った。

「味噌汁と漬物にしておだししますからね。待っていてくださいね」と寧々は言った。