「それがさ、今度映画化が決まっているある作品の準主役に、俺を起用したいんだって。
出番は少ないけれど、主人公の幼馴染(おさななじ)みていう位置づけの。
たまたま先週金曜の公演を観に来てた《ワンダー》のスカウト担当の人が、さっき来てた二人のうちの社長さんに俺のこと話してくれたみたいなんだ」
「あの二人のうちに《ワンダー》の社長さんがいた……どっちの人?」
「背が低い方の人だよ。お忍びで今日舞台を観に来て、なんだか俺のこと気に入ってくれたみたい」
俺を気に入ってくれた……照れながらもそう言った征児には紛れもない自信が感じられた。
その社長という人は、きっとたいそうな誉め言葉で征児を持ち上げたのに違いない。終始にこやかに征児に話しかけていた小柄な男を菫子は思い出す。
有名芸能事務所の代表とはとても思えない腰の低さだった。
征児が念願のメジャーデビューを果たす。この吉報は嬉しいはずだ、恋人ならば。
だが、際限なく上昇を続ける征児の高揚感とは裏腹に、鉛のように重く沈んでいく自分の気持ちを菫子はどうすることもできなかった。
その新作映画の撮影が始まると、《千一夜劇場》での劇団びっくり箱の公演に征児が出演することは次第に減っていった。
それはそうだ。自然災害や天候、出演者の体調、事故や事件、社会情勢……映画の撮影というのは往々にして様々な不測の事態に見舞われる。その時のために、出演者は常に体を空けておかなければならない。
撮影が完了するまでは、時間も体もその映画に拘束されるのは致し方ないことだった。
「征ちゃんが出ないならと、来なくなったお客さんも少なくないんだよ」
オーナーが溜め息混じりにそう漏らしているのを菫子も聞いた。そして征児の出番が減ったのは、《千一夜劇場》だけではなかった。
征児が菫子のアパートに来ることも少しずつ、だが確実に少なくなっていったのである。