【前回記事を読む】高校受験の失敗を大学受験でリベンジ…って、また不合格かよ。すると、3つ上の姉とその友人にとあるホテルに呼び出されて…
定年後の挑戦、試行錯誤、そして〝生抜力®〟へ
1 新宿の自然児が医者を目指すも挫折、研究者として 第一希望の製薬会社に入社するも……(さらなる挫折か?)
薬学卒で研究者になるには院卒でなければならない現実があった。そこで院に進み、実績を積み、研究者として可能性をアピールしたのだった。
大学院での研究三昧の2年間は、高校受験、高校でのトップ争い、そして大学受験と、3度の挫折を味わった自分が選んだ、研究者になるための戦略であった。
4報のファーストネーム研究発表という実績は、大学研究室第一号であるということで評価され、研究室教授の推薦を得て山之内製薬(現アステラス製薬)への就職が決まった。
戦略が功を奏して教授推薦で入社した狭き門といわれた山之内製薬だった。
だがしかし、入社直後の配属は動物薬担当部署という花形とは言えない部署であり、浮かれてはいられなかった。
海外雑誌に主研究担当者として4報の論文を発表し、これらの知識をもとに会社での仕事に取り組もうとアクセル全開の状態だった私は、場違いの配属部署にあたかもノッキング状態。(今風に言うと配属ガチャですか?)
周りの諸先輩方々は獣医学部や畜産学部出身のエキスパート。
「ここで俺は医科向けの人体薬ではなく、動物薬の開発をするのか?」
薬学部出の自分はまさに暗闇の中での手探り状態であった。だが、この部署で自分の価値を認めてもらうべく精進した。
魚の飼育方法、鶏の飼育方法、豚の飼育方法など水産畜産関係の本を読み漁った。
養豚場、養鶏場、養殖場、畜産衛生保健所、水産試験所へ先輩同行で視察に行き、話を聞かせてもらった。
新人が10年以上も入っていない動物薬部門に、それも学卒ではなく院卒の人間が入ってきたため会社側はしっかりと育てていこうと、未熟な私に懇切丁寧な指導を与えてくれたのだった。
私もその期待に早く応えようと、実務と並行して、関連書籍を読み漁り、知識を増やすよう、精進の日々であった。
そして動物薬開発の部署所属の5年間で、5種類の新製品を手掛けた。