【前回記事を読む】本来のサバイバル能力を取り戻す体験型キャンプ場! 楽しみながら学べば最短距離でスキルアップできる

定年後の挑戦、試行錯誤、そして〝生抜力®〟へ

1 新宿の自然児が医者を目指すも挫折、研究者として 第一希望の製薬会社に入社するも……(さらなる挫折か?)

日本高度経済成長期の象徴とも言われる大阪万国博覧会が開催されたのが小学6年生の年だったのだが、大阪万博への家族旅行の計画を覆してまでも、帰省、釣り三昧の夏休みを選んだほど佐渡の自然に惹きつけられていた小学生時代であった。

釣りを通して自然、特に生き物に興味をもつようになり、観察のために釣った魚を水槽で飼育し新宿の実家で500匹以上もの魚を飼育していた時期もあった。

中学生になると休日にも部活動があったため、釣りは毎週末とはいかずとも続けてはいたのだったが、高校入学後は完全にやめてしまった。

縁あって定年後に再デビューした釣りなのだが、面白い。

老眼のために餌をつけるのには難儀するのだが、まだまだ衰えていないぞ、と鼻息荒く、イワナ100匹釣り上げる、腕は落ちていないぞ、と自画自賛中。

魚から昆虫、鳥、と生き物への興味が高まり、「命を助ける医者になりたい」と小学生で医者を目指すことになる。

大漁イワナ・ヤマメ

自分で言うのもなんだがそれほど努力せずとも、そこそこの成績は出せた。数学が得意だった。両親の教育は放任主義ではなかったが、それほど教育熱心というわけでもなく、自由にさせてくれた。

家計をやりくりして塾にも通わせてくれた。高校受験の時期の三者面談でも、安全圏とは言えない進学校の受験も認めてくれた。

結果、第一志望の都立は見事不合格、滑り止めの私立高校への進学となった。

高校受験の失敗が、わが人生初めての挫折。

確かに不合格の知らせでがっかりはしたが、そもそもBマイナスの成績での受験であり、自分としては「まあ、仕方がないか」程度の落ち込み具合だったのだ。根が楽天的なのだろう。

滑り止めの高校では、勉強に集中すべく、迷わず帰宅部。大学受験でリベンジを誓った。

そもそも、「滑り止めの高校での俺はトップクラスで当然だろう」と高をくくっていたのだが、自分と同じようなリベンジ組には、優秀な生徒がそろっており、なかなかトップをとれなかった。

ここで早くも2度目の挫折を味わうことになったのだが、だからといって、そこから劇的な俺の中での展開が生まれるわけでもなく、普通に受験勉強をして3年間を過ごした。