【前回記事を読む】サバイバルキャンプの番組を目にしたのがきっかけで「生抜塾体験型キャンプ場」誕生の大きな一歩へ…

プロローグ なぜ「生抜力®」なのか

生抜塾

さて、話を生抜塾キャンプのプレプレオープンの日に戻そう。クリスマスイブイブの晩、我が家の450坪の庭にテントを設営してクリスマスキャンプを繰り広げるメンバーはサバイバルキャンプの指導者と、そのお弟子さんたち、いわゆるキャンプのプロたち。

サバイバルキャンプ、これは人間の本来持つサバイバル能力を駆使して、最低限のツールで乗り切る最も原始的な野営方法であり、ほとんどホテルステイと変わらないようなグランピングや、様々なツールをこだわり使い分けるマニアックなキャンパーとは全く別物と考えられる。

この本能を研ぎ澄ませて自然と向き合うサバイバルキャンプに、まさにこれが自分の求めていたものだ、と感じたのであった。

しかしながらサバイバル技術そのものにはまったわけではなかった。あくまでも眠っていた野生本能を再認識し、自らの野生本能の可能性に、はまったのだった。

テント設営の場所を探し、草を刈り地面をならしてテントをはり、落ち葉を集め、枝をのこぎりで切り、幹を切り倒して斧で割り薪を用意して、火を起こす……といった野営における一連の行動全てが、理にかなっており、実に合理的なことに気づき、興味をそそられたのだった。

草刈り

原始的行動が合理的なのは、考えてみれば当然だ。生きるために安全な場所を探して寝床を確保して、生きるために獲物を捕り食する、という行動は、人間が生き抜くための最低限の行動であるから、合理的であって当然なわけである。

サバイバルキャンプではサバイバル技術を学び実践することが目的となるのだが、本来持っていたはずの本能としてのサバイバル能力を取り戻すことを目的とした体験型キャンプ場をここでやってみよう、と考え始めたのであった。

本来人間も五感を働かせて生きてきたはずである。二足歩行となり、火を扱い、そして五感に代わる様々な高度な技術を生み出し、駆使して生きるようになった人間は、五感(=野生)を忘れてしまった。

自然の中に身を落とすキャンプを取り入れた研修の中で、眠っていた五感(野生)を総動員し、そこに叡智を加えて問題の本質に迫る癖(=生抜力)を身につければ、怖いものなしだ。人生を存分に楽しめるのではないだろうか。