ラ・ジオコンダ

九月八日

忠司と真世は午前中のバスでシエナからフィレンツェに戻り、フィレンツェの町を見下ろす丘の上のミケランジェロ広場に立っていた。フィレンツェを訪れる観光客必見のスポットである。広場にはミケランジェロの若いころの出世作、ダビデ像の実物大のレプリカが立っている。

ミケランジェロは当時の彫刻家の誰もが敬遠して、町の一角に長い間放置されていた大理石の柱から、見事な筋骨逞しい若者の肉体を彫り出した。

眼下に町のパノラマが広がり、アルノ川にかかるポンテ・ヴェッキオ、花の聖母大聖堂(ドゥオーモ)やヴェッキオ宮殿の塔が手に取るように見渡せる。

この広場から眺めるドゥオーモの景観は圧巻だ。この町に生まれ育ち、どこかの町に移り、そして再び戻って来たフィレンツェっ子は、きっとこの赤褐色のクーポラを見て、〝ああ、フィレンツェに帰ってきた〟と感慨を抱くに違いない。そのドゥオーモを取り囲む街並み、そのここかしこに歴史を刻み込んだ寺院や赤い屋根が連なっている。

彼らは広場の一角を占めているレストランで昼食を食べた。忠司はフィレンツェ名物のパスタ・きしめん風のフェットチーネ、真世は真ん中が空洞になったブカティーニ。それぞれを写真に撮り、半分ずつ食べて交換した。

彼らは手をつなぎ、丘をゆっくりと下りて行く。アルノ川のこちら側には古い城壁の跡がまだ崩れずに残っている。雨上がりの道は急速に乾いてきた。やがて古い城塞にぶち当たると、その壁に沿って歩いた。ルネッサンス時代から続く古い城壁である。

歩みを続ける彼らの目はとある店の看板に止まった。店のウインドウには額に入った『モナーリザ』の複製が飾ってある。店の名は『ラ・ジオコンダ』。それに組み合わされた手のマークが看板に描かれている。あの荷物につけられていたタグと同じデザインだ。真世と忠司は思わず顔を見合わせ、どちらからともなく引き込まれるように店の中へ入って行った。

店の中は薄暗かった。六十がらみの店の主が現れた。短く刈り上げた髪は灰色混じりで、赤ら顔にフィレンツェ風ビフテキを食べ過ぎたような出っ張った腹、いかにも中年のイタリア人らしい体格だ。店の主は一人で店番をしていた。実は女店員がいるが、昼食に出ていて。客の対応が手薄になって申し訳ないと店主は言った。

店の奧の机には店のカードがあった。間違いない、空港で託された問題のバッグにあったのと同じカードだ。裏側にはヴィンチェンツォ・サバティーニと記してある。

「あなたがサバティーニさんですか?」と忠司。店の主はうなずいた。

 

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