ガイドの女性が子供たちをたしなめていた光景が、家の近くにいた進駐軍のアメリカ人にチューインガムやチョコレートをねだっていた小さい頃の自分の姿を思い起こさせた。
1974年当時のソ連はブレジネフ書記長・コスイギン首相・アンドロポフ国家保安委員会(KGB)議長の3人によるトロイカ体制で政治が行われていた。
そのような状況であったので、街にはレーニンやマルクス等の肖像画(スターリンのものはなかったように記憶している)がいたるところに掲げられていた。トロリーバスが走り、3月の末で雪こそなかったが、寒くて暗い雰囲気が漂っていた。
夜中に街の本屋のショーウィンドウを眺めていると突然日本語で「日本の方ですか?」と話しかけられ、見ると眼鏡をかけたインテリ風の男性だった。
「そうですが」と答えると、「日本の話をお聞きしたいのですが、いかがでしょう?」とのことで、この男性はひょっとしてソ連の情報機関の人間かもしれないと思い丁寧にお断りするという、いかにも当時のソ連らしい体験もさせてもらった。
市内観光の一環で「ボリショイサーカス」を見学した。さほどこの種の見世物に関心はなかったが、サーカスとはいえ立派な劇場で、またそれを日本人の旅行者に見せるのも目的の一つだったと思われる。
というのも、日本のサーカスは少なくとも私には寺山修司の映画に出てくるようなイメージしかなかったので、ここでのサーカスが劇場で実施されていることに驚くとともに、サーカスがひとつの文化としての地位を得ていることにも驚いたのである。館内は親子連れのロシア人で賑わっていたが、サーカスが大衆にしっかり根付いていることに日本との違いを感じさせられた。
【イチオシ記事】病院から返ってきた彼は別人だった。物足りないと感じていた彼との行為は長く激しくなり、私は初めて絶頂で意識を失って…
【注目記事】「どの部屋にする?」選んだのは、大きなベッドに小さな冷蔵庫、広すぎるバスルーム。浴槽の前で促されて服を脱ぐと…