【前回の記事を読む】1974年、ソ連行きの客船に乗り込んだ私は、船内の本棚を覗いてみたが…“あの革命家”の本ばかりだった。
第Ⅰ部 ヨーロッパ彷徨記
第1章 横浜からナホトカ・モスクワを経由しヘルシンキへ
1・1 1970年代のソ連
しばらく歩いていると奇しくも船で見かけた船員の男女が、住まいと思われる建物の前に何人かが集まっていて、こちらの方に無言で視線を送っていたのを不思議に思いながら見返していた。彼ら彼女らは取りあえず自由に外国旅行ができる日本人たちをどのように見ていたのだろうか。
道路は舗装されておらず、子供時代に住んでいた海辺の町を思い出させた。坂道を上っていったが、住民の家はどれも木造で木の柵がしてあった。たまたま庭仕事をしていた初老の男性がいたのでロシア語で「こんにちは」と挨拶したところ、同様の挨拶を笑顔とともに返された。3月の下旬であり、雪はなかったが道路は所々ぬかるんでいた。
横浜港から船旅で着いたナホトカは、現在はロシアの極東にある一都市であるが、初めて異国の地を踏んだ旅人に、異国という新鮮さはあったものの強烈な衝撃のようなものはなく、却ってこれからめぐる地への好奇心を掻きたてられたように記憶している。
ナホトカを離れ鉄道でハバロフスクへと向かった。乗車時間は15時間あり、いわゆるシベリア鉄道での鉄道旅行となったが、本で読んだ通り眼前に広がる風景はどこまで行っても白樺林であった。
ロシア語が話せ、ロシアの国やロシアの人々に関心があれば、シベリア鉄道でモスクワまでの1週間もそれほど苦にはならないだろうが、ロシア語は読むことはできても話すことや聞き取る能力は持ちあわせてはいなかったので、こちらを選択したのが正解であったようだ。
ハバロフスクに着くとすぐにモスクワまで飛行機での移動となった。ソ連のアエロフロート航空、しかも人生初の飛行機体験で心中は穏やかではなかった。