それまでは、想像もつかなかった出来事であった。教科書や臨床専門用語で、心筋梗塞の代表的な症状、いわゆる壊滅的な痛みが、わたしを一時的にがっちりと掴んで底なしの泥沼に落とし込んだのであった。
まるで、2枚の鉄板で胸が締め付けられて、押し潰されそうであった。心臓カテーテル検査の際には、一時的に心臓が止まって蘇生術が行われた。これらの出来事が、その後のわたしの人生を大きく変えていったのである。
その数年後、わたしは、恐怖と希望と憂うつと疑念に満ちて疲れ果てていた時期を過ごしており、それはこの本を書いている今日でも続いている。わたしは、父の遺産でもある前立腺がんも患っており、その確定診断には何年もかかった。
8年間に5回の生検を含めて、数え切れないほどの検査を受けた。はっきりしないところが沢山あった。思い切って特殊な治療も受けた。不安も多く、副作用も避けられなかった。
当初は成功したものの、3年後には腫瘍が再発した。再び足元から地面が消え去るような感覚に襲われた。父の運命が、わたしにも手を伸ばしているのが見えたのである。
そこで、最新の画像診断PET-CTを勧められた。幸いなことに、まだ転移は確認されなかったが「迷わず照射をした方がよいでしょう。まだチャンスはあります!」というのが同僚たちのアドバイスであった。
それほど悪くはないと言われたが、密かに、もっと楽観的な予後を期待していたのである。迷った末に、最終的には治療を承諾した。
深い不安と心配と恐怖に襲われながら、6週間という長い間、毎日ベルリンの大学病院の放射線地下壕で、リニアック線形加速器のプローベを、衛星のようにわたしの周りを一周させて、腫瘍の再発防止と真面目に取り組んで今日に至っている。
そういうわけで、わたしがこの本で記していることは、少なくとも、そのほとんどが自分の体験から生まれていると言い切ることができる。
多くの患者さんの深刻な病気や苦しみを身近に感じ、また、わたし自身も命にかかわる病気や実存の危機を経験したことから、絶望的な病気では、死ぬことが約束されているという考えが、わたしのこころのなかで確信へと変化していった。
このようにして、予測できない苦しみや死への過程にあって、他のすべての選択肢が排除された場合、わたしは、意思を持った一人の病人として、人道的医療安楽死を選択する決心をしたのである。
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