【前回記事を読む】家族連れでにぎわう海岸で、鮫と海亀が死んでいた――しかし私はビールを飲み、蛤を焼いて食べている...

第一章 常陸の海岸を歩く

2005年に勿来から銚子までの区間を10日間で歩いた記録である。

8 鹿島

送り盆の日に鹿島の海岸を歩いた。

この日は荒野台駅から出発して、鹿島の海岸を歩いた。後半は工場地帯になっていて海辺を歩くことはできなかった。

駅前で歩く準備をしていたら、電車を待つ高校生が不思議そうな顔をしてこちらを見ている。

麦藁帽子に白い長袖シャツ、半ズボンの格好、これにリュックを背負い、上腕にはGPSをつけたこの人(私)は、はたしてどこに行くのだろう。

山登りのようだが、近くに山はないのにと、その高校生が思ったかどうかわからない。

怪しいおじさんは海に向かって歩き出したのだった。

夏も終わりに近づいて、海水浴の人は少なくなった。この日は曇り空で、波が高い。いわゆる土用波というもの。相変わらずサーファーは元気だ。

そんなサーファーが遊ぶ砂浜には盆の花と線香が供えられ、ここの名産品であるメロンや西瓜(すいか)が供花のそばに転がっている。それをカラスがねらっている。

地元の人たちの海への供養なのだろう。このような光景を初めて見たこともあり、最初は奇妙な思いがあった。歩いていく先々でこのような供養が行われていることがわかり、海辺に住む人々の生活として理解した。

写真を拡大  送り盆の日の海岸供花

平井海水浴場で砂浜は終わった。海水浴客も少なく、夏の終わりを感じさせる。

ここからは工場地帯になる。それでもできるだけ海岸線を歩くことにこだわってみたが、工場の敷地が海岸にある防波堤への立ち入りを禁じている。

迂回して歩く工場地帯の道路は交通量も少なく、舗装された道路脇には雑草が生い茂り、寂しい景色だ。

鹿島共同火力発電所を過ぎて、鹿島港に出た。しかしここで行き止まり。港の縁を巡る道はない。同じ道を戻らなければならないことがわかると、どっと疲れが出てきた。

この日は歩きすぎたようで、9時から歩き始めて、最終地点の鹿島神宮駅に着いたのが午後4時だから7時間歩いたことになる。

GPSによると歩いた距離は29・5km、同じ道を戻る足取りは重くなった。サッカーJリーグの鹿島アントラーズのクラブハウスと練習場の脇を通った。だれも練習していない。

あとは鹿島神宮に向かって歩くだけ。鹿島臨海鉄道の貨物列車を見送り、実り始めた稲穂をながめ、広い道路ができた繁華街を抜ける、その道程の長いこと。うんざりした頃、やっと鹿島神宮駅に着いた。

次回は、また同じ道を歩いて工場地帯に戻ることになるので、これが少しばかり気が重い。

(2005年8月16日)