【前回記事を読む】【海岸沿いを歩く】昼ごはんは岩牡蠣。この季節に生の牡蠣をレモン汁で食べる幸せ。あっという間に胃の中に消えていき…
第一章 常陸の海岸を歩く
2005年に勿来から銚子までの区間を10日間で歩いた記録である。
6 大洋駅
誰も見向きもしないような、どこの海岸にもある花と書こうとしたが、人間様だけが注目しないのであって、蜂はせっせと浜昼顔の花蜜を集めていた。
サーフ天国だ。いくら気温は高くなったといっても、海水はまだ冷たいのに皆さん熱心だね。
初心者のサーファーは浅瀬でサーフボードに乗る練習をしている。
教える人も一所懸命。女性サーファーも背丈よりも長いボードを持って、海に向かっていった。私も一度くらいはやってみたいなと、またぞろ好奇心がわいた。
あなたには他にやることがたくさんあるだろう、という天の声が聞こえてきた。
はい、その通りで。
仕事はもちろんのこと、山登りやマラソンのための練習などに時間を使っているのに、何にでも興味を持つのが悪い癖。サーフボードに乗っている暇はない。
山スキーは才能がないのを自覚し、油絵の筆を折り、音楽では禁じられた遊びを目指したギター、娘が弾かなくなったピアノ、父が残した尺八、沖縄で手に入れた三線はものにならずに埃をかぶっている。
子供の頃に夢中になった魚釣りもやってみたいが、再びのめり込みそうで釣竿は手にしないようにしている。
今日歩いた海岸は遠浅になっているからなのか、波が寄せ、波が引いても海水は砂に吸い込まれず、砂浜が濡れたようになっている。斜めから見ると鏡のようになり、人影が砂浜に映る。更に靄がかかっているので、幻想的な景色だ。
波の音というのは、音としてはうるさいと思うが、うるさいと思わないのはどういうわけか。海から生まれた生物には、波の音に郷愁を感じるからだろうか。
それとも寄せては返す、あのリズムがここちよいのだろうか。
大竹海岸は良質の海水浴場として知られている。しかし今の季節は寂しい。
夏には大音響で流行の歌を流すのであろうスピーカーも今日は無言だ。海の家も戸が閉まっている。コンクリートの壁に書かれたメニューを見ても注文することはできない。
鹿島臨海鉄道の大洋駅まで歩いて、今日も予定通り歩き通すことができた。
常陸の海岸歩きも今回で6回目。目的地の銚子まで残り3回であろうと踏んでいる。
だんだん暑くなってきて、次回からは登山靴はやめて裸足で海岸を歩くことにしようかなと思っているところだ。
(2005年6月12日)