いま学校では ―想像絶するいじめ 逃れられぬ子どもたち―
今の小中学生の学校での人間関係の緊張感は、大人の想像を絶する。プライドと競争意識、仲間意識が錯綜する。
もちろんその極限の形がいじめだ。ここから先がいじめで、この手前はいじめでないというようなものでは決してない。それに近い状態が寄せては返す波のように毎日、毎時間繰り返されている。当事者ばかりでなくその周辺の子どもたちも、自分の身を守るためにピリピリしている。
「なぜいじめを見て止めなかったのか」と大人は言う。そんなことが簡単にできる子どもはいない。遠山の金さんではないのだ。大岡越前もいないのだ。
あと全てが自分にふりかかってきて、自分が全部しょい込む覚悟が子どもにできるか。そんな重荷を子どもに背負わせられるか。大人ならかなり込み入った人間関係も、ある程度常識の範囲で、刑法にふれない範囲で終わることが多いとたかをくくっているから、そんなに緊張感がない。
しかし子どもたちには限界がなく、義務教育という檻(おり)の中から逃れられない。被害者になるくらいなら加害者になる。賢い子ならせめて傍観者になる。それほど被害者と加害者の差は大きい。その恐ろしさは想像を絶する。被害者は死んだらずっと楽になると思い、加害者は単なる遊びと思っている。
大人の介在しないところで際限なく繰り返される。大人がのぞき込んでも、凪のような水面が見えるだけだ。もし大人の介入があっても下手をするとより深く、より残忍になる。個々の事例を解決しても次々に起きる。都会だけでなくのどかな田舎でも起きる。
「今どきの子どもは困ったものだ」などとしたり顔に言う人はもういないだろう。このいじめは日本独特で、最早日本の家庭と学校教育が構造的に生み出していることを否定する人はいない。そこに根の深さがある。
8年間耐えた女の子が私のところへ来た。感情の高ぶり、自殺未遂。入院して6カ月、ようやく落ち着き、書いてくれた手紙で私は彼女の長い闘いを知った。
「せんせい、わたしはね」という書き出しでほとばしるように書いたひらがなばかりのその手紙は、ノート1冊になった。彼女は奇跡的に耐え抜いた。いじめた級友たちはもう覚えていないかもしれない。
今彼女は夢に向かって勉強している。介護士になるという。来たときには必ず私に優しく声を掛けてくれる。その笑顔に、今私が救われている。
※平成9年、消費税3%から5%に上がった。
【イチオシ記事】愛妻家のはずの夫が初めて朝帰り。「ごめん、これ見て」と見せられた動画には、ホテルでされるがままの夫と、若い女が…
【注目記事】3月上旬、がんの手術のため妻が入院。腫瘍が3カ月で約3倍の大きさに。全部取り切り、何も問題はないと思っていた、その時は。