ところで、本論に入る前に、母系制は、なぜ、どのようにして父系制へと転換したのか。エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』(戸原四朗訳 岩波文庫)を参照しつつ、簡略に述べてみれば、次のような次第である。

戦争は、戦争によって利得を得ることができる時代にしか、起こり得ない。

人間一人の生産性が、自分自身ないし、ごく少数の家族を養うに足るだけの価値しか生み出せなかった時代において、戦争は意味をなさなかった。

このような時代に仮に戦争があったとしても、戦争で得た奴隷は、自分自身と自身の子の食い扶持を生産するだけで精一杯、他者からの搾取に遭えば、哀れ奴隷は飢え死にする他なかったはずである。

狩猟採集時代という、人類史の大部分を覆った時代は、このような時代に属した。この時代の争いといえばせいぜいが、自分のなわばりを確保するだけの争い、多くの場合は、相手を当の土地から追い払う争いだけで終わっただろう。狭小な土地に阻まれた者たちだけが、争いを常態化させたかも知れない。

しかし、なおその場合でさえ、この時代の人類の戦う相手は、主として大自然そのものであったのであり、人間同士の争いを常態化させる余裕などは、実のところ、ほとんど無かったはずである。人間同士の争いを、大自然の脅威が阻止していた時代、常に、飢えという脅威との戦いが人間の戦いの大部分を占めていた時代である。

人間同士が、争うよりも共労する方が、遙かに多くの安全と食料を手に入れることができた時代である。自然の選択として、戦争は、起こり得なかった。

余談ながら、冒頭引用拙文でも触れた如く、人間の体は、飢えに強い仕組みにできている。体がつくる各種のホルモンは、血糖値を上げる向きに働くホルモンが大部分を占める。グルカゴン、アドレナリン、ノルアドレナリン、副腎皮質ホルモン、甲状腺ホルモンすべて然り。