さらに、ふと気がついたのは、彼女の国のことを何も知らないことです。自分でいくつかの資料を用意しました。

まずはビデオ『サラエボ、希望の街角』『ウェルカム・トゥ・サラエボ』。次には本『ボスニア物語』『ぼくたちは戦場で育った』(3)、また家内の蔵書にあった『オシムの言葉』そして絵本が二冊『平和の種をまく』『地雷ではなく花をください』。

なんということでしょう、ボスニア・ヘルツェゴビナは二十年前まで戦争があり、彼女は戦争中に生まれた子どもなのです。

ボスニア・ヘルツェゴビナはヨーロッパ最貧国と言われ、人口は三百五十万と北海道より少なく大学医学部はもちろん一か所しかありません。彼女はボスニア人ムスリムの希望の星なのだと知りました。

次に身の回りの準備です。医局に彼女の机とロッカーを用意し、フィリップの時にとても役に立ったクリップメモパッド(外科では絵に描いて説明することも多いのです)も机の上に置き、名刺も用意し……と、ここでも彼女のファミリーネームのアルファベットĆの読み方が解らないことに気がつきました!

彼女の自習用に最新の英語の小児外科教科書二巻もド~ンと机の上に置きました。

彼女の四週間のスケジュール表も作り、白衣やスクラブ(ゴシゴシあらえるVネックの手術着風着色衣)は医局女性医師の洗濯済みのものを用意しました。ふう~~! 

 


3 『ぼくたちは戦場で育った』(ヤスミンコ・ハリロビッチ編著、角田光代訳、
千田善監修、2015年、集英社インターナショナル発行)

ボスニア・ヘルツェゴビナはイタリアとギリシャの間にあるヨーロッパの小国ですが、7つの民族と3つの宗教と3つの言語が入り交じり、古来より分割と統合を繰り返してきました。

1992年からはボスニア紛争が勃発しましたが、1995年に終結し現在の国が形成されました。この本はその過酷な紛争の時期を少年時代として過ごした青年たち1100人の思い出の記録です。

水も電気も食べ物もなく砲弾や銃弾が飛び交い友達も命を失っていくなかで、子どもたちがいかに生き延び、遊びを見つけ、笑いを見つけようとしたのかが書かれています。

本文中のラミーヤはまさしく砲弾の飛び交うなか地下室で生まれ、この本の投稿者たちは彼女の兄の世代に相当します。

日本の大人も青年も子どもたちも、つい20年ほど前のこの現実を子どもの目線から読んでいただきたいと思います。

次回更新は2月11日(水)、8時の予定です。

 

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