『記紀』編纂時の奈良時代初期において、このような状況にあったとすれば、「神代」の情報はどのように保存、伝承されたのだろうか。

ここに『日本書紀』の特徴②「他書の引用」が大いに関係するように思える。

神武一族に伝えられた神話も時間とともに曖昧さが増すだろう。これを補完するためにいくつかの参考書物を利用したものが「一書曰」に見られる引用である。

これらの引用文献の文体は当然『日本書紀』と同様の漢文体のものと思われる。つまり『日本書紀』以前に漢文体の歴史書が存在したことを示している。

これより約一〇〇年前の飛鳥時代前期において、「天皇記・国記」の編纂が行われた記録がある。これらは乙巳(いっし)の変(大化の改新・西暦645年)で蘇我氏の滅亡とともに焼失したとされている。

したがって「天皇記・国記」を参考にしたとは考え難いが、写本や当時集められた資料が残っていたかもしれない。

引用された参考文献が漢文体で書かれていたことから、漢字の利用法を考慮すると、大和地方において書かれた文書とは考え難い。

本来日本神話の主な舞台は高天原であり、北九州を指しているのだろう。つまりこれらの引用文書は北九州から大和地方に持ち込まれたと見なせるだろう。

北九州においてすでに一〇冊を超える歴史書があったことが『日本書紀』の引用状況からわかる。

『記紀』の編纂にあたり、中国史書を参考にした形跡はあったが、極めて少ない。九州で作られた歴史書は、編纂時に中国史書を尊重して利用したことは十分考えられる。


引用資料

四‐一 『日本書紀』巻第三

「天祖(あまつみおや)の降跡(あまくだ)りましてより以逮(このかた)、

今に一百七十九万二千四百七十余歳(ももよろずとせあまりななそよろずとせあまりここのよろずとせあまりふたちとせあまりよほとせあまりななそとせあまり)。

而(しか)るを、遼邈(とほくはるか)なる地(くに)、

猶(なほ)今(いま)だ王沢(みうつくしび)に霑(うるほ)はず。」

試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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