まず①の訓注に関して考えたい。なぜ訓注が必要なのだろうか。

「尊」を「美挙等」と書いて説明する状況は漢字の利用法の差異を示している。

『記紀』を編纂している時期(飛鳥時代後期から奈良時代初期)に未だに訓注を必要とする漢字の利用法を採っている。

漢字の使用に関して、北九州では「倭王武」の上表文のように表意文字として利用しているが、大和地方では一音一字の表音記号として用いていると推察できる。

この話題の詳細は「第二〇話」で取り上げる。「神代」に記された訓注から、大和地方の漢字利用が奈良時代初期においてさえ、話し言葉の一字一字を表音漢字に当てはめるレベルにあることを証明している。

前述の「尊」の記載の後に、国生み伝説の箇所では

「柱」、此をば「美簸旨羅(みはしら)」と云ふ。

「少女」、此をば「烏等咩(おとめ)」と云ふ。

「日本」、此をば「耶麻謄(やまと)」と云ふ。

等々、表意漢字で単純に理解すればよいものを、わざわざ字数、画数の多い訓読み記号に変換している。

しかし大和地方の人々にとって表音記号の表示の方が書き言葉を理解する上で慣れた方法なのだろう。

この訓注はいつ書かれたのだろう。『日本書紀』完成時にすでにあったのか。それともその後付け加えられたのか。

本文中にも表音文字に訓み下す箇所が見られるので小字二行の訓注は後で付加されたものかもしれない。どちらかに決める証拠はない。

『日本書紀』より約四〇年後に完成した『万葉集』(西暦759年)には訓注は存在しない。

作品中の比較的新しい歌では、表意漢字といわゆる万葉仮名で詠まれ、現代日本語に通じる言語体系の始まりと思われる。

したがって訓注が後代に加えられたとしても、訓注を必要としない『万葉集』完成以後にはならないだろう。