宗像はしばらく写真を見ていたが、何かに気がついたらしくこう言った。

「先生、ここに経歴が載っていますね。ですが少し変わっていませんか? 一九三四年英国生まれとしか書かれていませんよ。どこの都市だとか、どこの大学を卒業したとか、卒業してからどうだともなくて、いきなり一九八五年に初めてグラスゴーのミディー邸が経歴に記載されています……。もう五十一歳ですよ?」

「まあね。でも我が国でも五十歳になってから有名になった建築家もいるわけだし。まあ、孤高の建築家ということかな。宗像君、かく言う君だってそうじゃないか。個展のとき、君の経歴などいつもわずか三行ではないかね?」

笑いながらそう言って磯原は《昴》のカウンターを離れた。磯原に言われてみればその通りだった。がしかし、建築家は写真家とはおおいに違う。豊富な経歴は施主を安心させるし、社会的にも巨大な資産を、などと反論しようと思ったが、大建築家を前に意味のない議論だと気がつき、あらためてオーターの顔写真を見た。

真っ白い顎鬚をたくわえ、銀色の豊かな髪をくゆらせたその顔は、すでに六十の半ばを過ぎているというのに精悍さを失っていない。印象としては十歳以上は若く見えたのだが、使われている写真は若い頃のものかもしれなかった。

徹夜明けの上、その日の夕方にやっと終えることができた作業から解放されて、《昴》に場所を移したところに磯原が現われたわけだが、ピーター・オー ターの“現代美術館それは癒しのインターフェース”と名づけられた一等案に関わる貴重な話を聞けたことは、大きい収穫だったのである。

このとき、磯原が漏らしたこれらの話が、後日、予想外の展開をもたらすことになろうとは、宗像はもちろん予想だにしていなかった。

《昴》の中を、再びファドがゆっくりと流れた。

暗く閉ざされた黒い海辺
打ち上げられたか壊れたはしけ
私を見捨てたあなたもいつか
私の海に帰るだろう

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「律子さん、僕、ポルトガルに行くことにします。ちょうどここで半月ほど仕事が切れますから。それに、これまで夢中でやってきたけど、人生を振り返る良い機会かもしれませんし」

「えっ、ポルトガルへ? そんな突然、俊介さん、いったいどういうこと?」