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夕方六時過ぎのことである。一人の訪問者が予告なく《昴》に現れた。これまで世界的に注目される建築を設計し、多くの先駆的な論文を発表してきた、日本建築界の長老と目される建築家磯原錬三だった。

年齢は既に七十歳を超えているというのに、背筋をしゃんと伸ばし、常に若々しく、青年のように張りのある体躯を維持していた。幅広い人脈を駆使し、エネルギッシュな創造を続けるその姿には、いつも皆、目を見張らされていたのである。

豊かな識見と鋭い慧眼に裏付けられた数多くの建築作品には、常に高い評価が与えられてきただけでなく、加えて、文化的なコメントや社会全般に関する著作物も、建築界だけに留まらず、一般社会の広い分野に大きな影響を与えていた。

写真家宗像が世に出るきっかけを作ったのが、この建築家磯原だったことを知るものは少ない。もう二十年以上前の話になる。

当時磯原は自分の設計した建築を撮影する多くの写真家の作品にいつも不満を抱いていた。それは、磯原の建築に対する理解不足と、写真作品そのものの表現に対するもの足りなさの両面においてだった。

宗像が青山の小さい画廊でささやかな写真展を開催した十数年前、偶然、ぶらっと立ち寄ったのが磯原だった。磯原はこの若い写真家の作品に、これまで見たことのなかった新鮮で非凡な感覚を見出したのだった。

これがきっかけになり、宗像は磯原の建築作品を撮るようになった。この大建築家磯原の建築作品を撮ったことが評判を呼び、一時は多くの建築家から注文が舞い込んだ時期もあった。しかし考えるところがあって、現在では建築の写真撮影は磯原の作品に限っていた。

いつものようにふらりと入ってきた磯原は、徹夜で充血した眼をしばたたかせる宗像の前に一冊の本を置いてこう言った。

「宗像君、付箋のあるところを見たまえ。なかなか面白い記事だよ」

開いてみると、それはある建築専門誌の巻頭に掲載された特集で、海外に計画される美術館の国際建築設計コンペの結果発表記事だった。磯原は一方的 に説明し始めた。

「これはね、スイスのチューリッヒ湖畔に、ルッシュ・グループが計画している現代美術館だ。ルッシュ・グループを知っているかね?」

「いえ……全く」

「ルッシュは本社がハンブルグにあってね、化学、薬品、食品会社などを統率する世界有数の巨大総合化学コンツェルンだよ。会長のヴィクトワール・ルッシュ氏が、一代で築き上げたいくつかの会社が、みな急成長して、今やヨーロッパを代表する一大企業 になったというわけだ。今回私はね、創業者のルッシュ会長に頼まれて、この国際的な建築設計コンペの審査委員長を務めさせていただいたのだよ」