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私の国内外の旅と旅とは何かについて
アレキサンダーの東方遠征
東欧バルカン半島のパルチザンの指導者だったチトー大統領が束ねていたユーゴスラビア(南スラブ人の土地の意味)が崩壊して、「マケドニア」という国が出来た。
この国名にギリシャが反発した。アレキサンダーのマケドニアの本質はギリシャにあり、スラブ系の「マケドニア」はその一部でしかない。長い間論争が続いたが、EU加盟を希望する「マケドニア」が妥協して、「北マケドニア」とする事で決着した。
この「北マケドニア」で有名な人は、アルバニア人のカトリック教徒マザー・テレサ(この辺は当時オスマン帝国支配だったためイスラム教徒も多いが、マザー・テレサ一家はカトリックである。
お父さんは、テレサが幼い時、独立運動時に毒殺されたようである。スコピエの北西側・コソボ国境の山の上に大きな十字架が見えるが、テレサも行った教会であろうか。
スコピエの旧駅近くにテレサの小さな博物館がある)である。インド・カルカッタ(現在ベンガル語のコルカタ)で、生涯貧民救済を行った人である。
話は飛ぶが、このマザー・テレサが、別れ別れになっていたアルバニア(コーカサスのアルメニアと異なる)に住む姉・お母さんに会いに行こうとした事があった。
しかしいったんアルバニアに入国すると出国出来ないという事で、実現しなかった。当時アルバニアは鎖国政策を採っていたからである。
ソ連のフルシチョフのスターリン批判、それを修正主義だとして同調せず、中国と共同歩調を取り、ソ連から距離を置いた。
その後中国が資本主義的傾向を強めニクソン大統領時のアメリカと接近したため、中国とも袂を分かち、独自の共産主義を貫き、世界から孤立した。テレサがアルバニアに入国しようとしたのは、アルバニアが鎖国中の、その当時の話である。
好奇心を持ってアルバニアを見てみたい、という立場からすると、鎖国から開国(1991 年)、ねずみ講(日本でも、間欠泉のように、噴き上がっては消え噴き上がっては消えで、創設の最初のものだけが利益を得るだけでシステム的に破綻するのは明白なのに、懲りずにたびたび社会問題化するが)による混乱、という事で、混乱が落ち着いて治安が問題でなくなれば、行ってみたい国であった。
何年か前、ローマ経由で行った事がある。 アレキサンダー・ヘレニズム領域の話と何の関係もないと思われるかもしれないが、知識は個別・独立して・孤立して・暗記して・関係性関連性を無視して獲得するものではなく、好奇心・興味・関心に沿った、関連連想・関係性を持った芋づる式・連鎖されるものなので、ここに書いてみた。
また地理・歴史的知識は客観的であるべきで、主観的事情は関係ないと思う人がいるかもしれないが(社会科学も客観性が大事と考える人もいると思うが)、私の場合、これらの知識は、自身の判断・決定・行動・実行に、密接に関連しているので、あえて個人的考え・体験を織り交ぜている。