でも、清水先生は幸不(ふこう)ではなかった。女性と同じようにというよりも、山野草の方が三倍は好きだったからである。今日も、擦(す)り切れた有名デパートの買(か)い物袋(ものぶくろ)から丸い二〇センチほどの野草(やそう)を取り出した。
「これは、オオバコというんだ。昔から漢方薬(かんぽうやく)の原料である『車前草(しゃぜんそう)』『車前子(しゃぜんし)』として利用されてきた。咳止(せきど)めや膀胱炎(ぼうこうえん)などに様々(さまざま)な薬効(やっこう)がある。
それだけではないぞ。この野(や)草(そう)はとにかく逞(たくま)しい。車や馬、人間や動物に踏(ふ)みつけられてもへこたれない。平気(へいき)で立ち上がってくる。凄(すご)いもんだ。まるで、『あしたのジョー』だよ。
踏(ふ)まれても蹴(け)られても血だらけになっても立ち上がる。このオオバコは、お前たちと『ある意味では』という限定(げんてい)では同じだ」
生徒たちは、自分たちのどこに『あしたのジョー』通項と共(きょうつうこう)があるのか理解できなかった。
「そうだよ。俺たちの下登校(とうげこう)する時の、制服姿(せいふくすがた)を見て、通行人がバカにしてニヤニヤ笑う奴(やつ)らもいるんだよ」
「思わず、ぶっ飛ばしてやりたくなるよ」
「今に見ていろ。社長になってお前らをこき使ってやるからナ」
でも、清水先生から、「あしたのジョー」と言われた生徒たちは、嬉しかった。漫画雑誌(まんがざっし)で胸をときめかして読んだジョーの姿をオーバーラップさせると、鼻腔(びくう)が大きく開き、鼻息(はないき)が荒くなるのだった。
清水先生は、毎日が楽しくて仕方(しかた)がなかった。「学習指導要領(がくしゅうしどうようりょう)」に基づいた高校生物のカリキュラムなどは頭の片隅(かたすみ)にあるが、授業に熱中(ねっちゅう)すると、トンと忘れてしまい毎回のように山野草の授業を展開(てんかい)した。