三、 向付
大正十四年三月三日
大震災の被害も漸く癒へた様に思ふ。おせいなる女給に頻りに誘いを受け、今宵はカフエータイガーにて清遊す。銀座にはかつて、ミルクホールにビヤホール等々、様々な店がありしが、残つたのはカフエーのみ。
此のカフエータイガーは、美しき女給達による接客が主なり。各々が妍を競ひ、男性客を魅了す。赤・青・紫の三組に分かれし女給達は、総勢四十名程なり。女学生風あり、居丈高な者あり、淑女あり、モダン・ガールあり、芸妓のよふな者、大人し気で伏し目がちな者もおり、将に百花繚乱の趣なり。
今宵はひな祭り、幼き女子の節句なり。席に着くと、縁起物のちらし寿司とはまぐりの吸い物が出る。広い店内を見回すと、何処からともなく五人囃子の笛太鼓が鳴つてゐる。常ならば燕尾服のボーイ達は右大臣左大臣、そして衛士に化けてゐる。女給達は艶やかな着物姿で、姫や官女となり舞い踊る。
見惚れていると、おせいが何かを差し出した。メニユウと書かれた大判の紙には、こう書かれてゐた。
簡易西洋料理一式
バタ チース
三日月パン(クロワツサンなる仏蘭西製)
オムレツ
ビフテキ
フライ
カツレツ
サンドイツチ
シチウ
クロケツト
カビア
ジン
ビヤー 麒麟 ヱビス 札幌
ウヰスキー各種
清酒
紅白葡萄酒
カクテール各種
炭酸水
余はビフテキとウヰスキー、おせいはジンに三日月パンにチース。歓談を交わす事暫し。
気付くと日付が変わらんとす。慌てて身支度を整へると、おせいが口を開ひた。さう慌てて帰へらなくてもよくつてよ、あたくしの家で飲み直しませんこと、と言ひ出した。其れきり黙したまま、上目遣ひのまま、じつと余から目を離さぬ。
誠に艶ある風情と感ずること頻りなり。不承不承、月夜を愛でながら、おせいの家で一献酌み交わすことに相成る。嗚呼、此の後のことはとても記し難し。