頭を下げると自然と涙が頬を伝った。この感情はなんだろう。謝りつつも、心では納得できていない自分がいるのはたしかだ。納得できない行動に走っているから、涙が出るんだろうか。
そんな理不尽なこと、これまでの人生にだってあったはずだ。サッカーで怪我したときもそう。相手選手がすぐに試合に復帰できたのに、どうして僕が。
ふさふさとした芝生の感覚を頬に感じながら、僕はたしかにそう思った。でも、そのときとはまるで違う。たしかに理不尽なことだった。でも、泣くことはなかった。『自分の人生=サッカー』だったにも関わらず。
はっとした。違うんだ。僕にとっての遥香とサッカーは違う。どちらも大切なものだ。でも、そうではない。僕にとっての遥香は、『自分の人生≺遥香』だ。小学生のときから続けてきたサッカーは、遥香よりも費やした時間がとてつもなく長い。それでも、はっきりと言える。サッカーとは比べ物にならないほど、遥香を愛していたのだと。
僕は納得していない。納得できない。世間の大人がそれを当然としているのに、世間では少子高齢化が逼迫した問題となっているのに。僕はどうして彼らに謝っているんだ? 父は母が妊娠したとき、母の両親に謝ったか? 違うだろう。そんなこと、していないはずだ。本来、子供を授かるというのは、もっと喜ばしいことのはずだ。
それなのに、どうして僕は今謝っている? 自分の疑念に素直に従えないことが悔しくて泣いているのではない。子供を授かったのに想像していた展開と異なる形になったことを嘆いているのではない。どうして遥香を認めてくれないのか、ということだ。