【前回の記事を読む】『古事記』が全く触れていない、意外な偉人…日本の歴史において、“都合が悪かった?”その人物とは…
第一章 「神功皇后紀」・「応神天皇紀」のからくり
1. なぜ卑弥呼の記事を引用したのか
神功皇后と卑弥呼
そして、神功皇后と卑弥呼の関係である。『日本書紀』が神功皇后を卑弥呼に擬したのはなぜか。
『日本書紀』や「神功皇后紀」の紀年に基準年を確保するために、神功皇后と卑弥呼を重ね合わせたというだけのことなのか。
だが歴史書としての『日本書紀』に、そんな手前勝手な手法は通用しないに違いない。いずれの記事もそっくりそのままの状態で、歴史として受け止める以外にはないのである。
例えば、もし神功皇后と卑弥呼が同一人物であるならば、卑弥呼は天皇家の人間、そして邪馬台国も日本(やまと)国の前身だということになる。
一方の「古事記神話」が卑弥呼に全く触れてもいないのに、「日本書紀神話」は卑弥呼と邪馬台国を天皇家の歴史の中に組み込んだことになるわけである。
しかもさらに不可解なのは「神功皇后紀」六十六年条である。
この時点で晋に遣使したのは卑弥呼ではない。なぜなら卑弥呼はすでに死んでいたからだ。
本来ならば「神功紀」四十七年条に倭の女王の遣使の記事があり、その後に「卑弥呼以に死し」の記事が続いていたはずなのである。
だが、それらの記事は「神功皇后紀」から削除され、あたかも卑弥呼が生きていたかのように「神功紀」六十六年条には遣使の記事が引用されているのだ。
一体、これらはどのように解釈すればいいのだろうか。神功皇后は卑弥呼ではないのか。
また卑弥呼と邪馬台国は天皇家の歴史と関わりがあるのか。「神功皇后紀」に、このような虚実ない交ぜの記事を載せたのはなぜか。
「神功皇后紀」はどこまでが真実なのか。
いやその前に、神功皇后はそもそも実在の人物だったのか。
さらには『古事記』と『日本書紀』は、どちらのどの部分を信用すればいいのか…。謎は深まるばかりなのである。
だが、これらの中にも、からくりを解く鍵が隠されているかも知れないのだ。