蘇我大臣馬子は大殿の王座を前にして着座していた。朝廷では政を司る勢威を示していたが、背が低く小太りで猪首の大臣の姿は、同族の身内の中では時に愛嬌を感じさせることもあった。ただ、額田部女王は今の大臣の眼を見るや、すぐに良くない報せと察した。
大臣の話すには、今朝方に斑鳩から使いが参り太子の容態が甚だ悪い状態にあるともたらされた。
まずは蝦夷(えみし)(馬子の次男)を様子伺いに向かわせ、我も女王に状況を報せて、万が一の仕儀となった場合はいかに処すかを議そうと参った次第。蝦夷の報告を聞いた上で明日にでも斑鳩に行くとのこと。叔父とはいえ女王より三歳しか違わぬ大臣の顔にも深い疲れと不安の色が現れている。
額田部女王は大臣の話を聞きながら、もしそのような事態になろうと、まずは二人が力を合わせて政を推し進めるほかないであろうと思い、静かに口を開いた。
「嶋大臣よ、そろそろ次の世代に全てを譲らなければならないとは思うが、それまでは我らで耐えるしかないであろう。叔父上、厩戸のことは我々祈るほかはないが、今宵は三人での治世のありようと、太子との来しかたを偲びながら、この先いかにすべきかを考えながら過ごそうかのう」
それを聞くと大臣は揺れる心を整えようとしてか模様をあしらった錦冠に手をやって直し、眼を女王に確かと向け問いかけた。
「それでは女王、改めてお尋ねしますが、何故に大王位を厩戸太子にお譲りなされなかっ
たのでしょうか?」
大臣の問いかけに、額田部女王は一瞬戸惑いながら、
「うーん、そのことは我の頭の中でもまとまっておらず……」と、つぶやき眼を中空に漂わせながら、厩戸とのこれまでの関わりの記憶を手繰り寄せていった。
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