一方、我が子の竹田王子の気持ちを慮(おもんばか)ると複雑な心の揺れを抑えきれないのだ。生来虚弱な体質であった竹田本人は、口には出さぬが偉大な厩戸王子にあこがれ、追いつきたいと焦るも自己の不甲斐なさに身もだえるほどの無念さを覚えていただろう。
最後には厩戸王子の輝きの前で打ちひしがれて命まで失うにいたった。我には竹田の誰にも訴えることのできない悲しい想いが痛いほど分かるのだ。
ただ、今は太子の回復を祈るばかりと念じた後、女王は心の落ち着かないままに褥(しとね)に身を横たえたが、やはり眠りの訪れぬ煩悶の夜を過ごすのであった。
翌二月二十二日 巳(み)の刻(午前十時)を過ぎようとする頃。額田部女王は褥(しとね)からは出たものの、昨夜の不眠の疲れからか、あるいは身に迫る不安のせいか、朝餉も退けて紫檀(したん)の几(おしまずき)(古代の脇息)に身を委(ゆだ)ねながら時を過ごしている。
そこに采女(うねめ)の一人が近づき、蘇我大臣馬子(そがのおおおみうまこ)が急ぎの報せがありとて大殿に訪れていると告げに来た。
蘇我大臣馬子は額田部の叔父にあたり、蘇我氏の長として諸臣を代表し大王家を支えている。額田部が女の身でありながら初の大王に即位できたのも叔父の後ろ盾があったからだ。飛鳥川の東岸の邸を構え、その広い庭に川の水を引いて造った池に島を設えていることから「嶋の大臣」とも皆から呼ばれている。今の朝廷には欠かせぬ重き存在である。
女王は采女に着替えを命じ、足先まで長い縞模様の裳(も)の上にゆったりとした緑の袍(ほう)をまとって、けだるさの残る身で大臣の待つ大殿に足を運んでいった。