この期間、御本尊さまと向き合い問いかけたのは、お寺の役割は何であるのか? 住職の役割とは何であるか? ということでした。

その答えが曹洞宗の宗典であります修証義の中にございました。

仏祖(ぶっそ)憐(あわれ)みの余り広大(こうだい)の慈門(じもん)を開き置(お)けり是(こ)れ一切衆生(いっさいしゅじょう)を証入(しょうにゅう)せしめんが為(ため)なり

お寺の山門には扉がありません。なぜ扉がないのか?

いつでも御本尊さまは私たちの苦しみ悲しみ不安を受け止めてくださるのです。だからいついかなる時も慈しみの門を開いていらっしゃる。そのためにお寺の門には扉がないのです。不安な時こそお寺にお参りいただき仏さま御先祖さまに手を合わせていただきたいのです。

苦しい時こそ御本尊さまは私たちの悲しみを受け止めてくださるわけです。その答えに辿り着き、慶弔会法要にお越しいただいた方々に、前向きなメッセージを送りたい、それこそがコロナ禍での住職の役割、お寺の役割ではないかと決意し、来るべきこの慶弔会法要を乾坤一擲(けんこんいってき)の場に想定しながら準備を進めることにいたしました。

しかしながら、発願以来、法要当日を迎えるまで本当に上手くいかないことの連続でした。これはひとえに私の至らなさ、配慮の無さ、未熟さからでした。

しかしながら終わった今だから思うことは上手くいかないことも一つ一つが全て自らにとって必要なことだったのだなと、もっともっと仏心を起こせと、この上手くいかないことも全部仏さまが姿形を変えて叱咤してくださったのかなと思います。

「一年間集まることさえ大変な時期にご尽力をいただいた沢山の方々の想いに応えるならどんなことでも受け入れて寛容な心ですべて受け止めていけ」。

そのことに気付き、仏心を起こし続けていくということを心に置いて行持に向かっていきました。

 

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