【前回の記事を読む】金魚たちは骨だけになりプカプカ浮いていた…入院してた頃から大事に育ててきたのに…泣きながら弟に激怒した
二章 大阪警察病院入院時代
脱走事件
私は一度だけ脱走したことがあった。週に一回の筋肉注射が嫌で嫌で、誰にも言わず屋上に逃げ込んだ。実際のところどのくらいで発見されたのかは分からないが、子供の私にはとても長く感じられた。谷池先生に見つけてもらった時は、私はなぜか堰を切ったようにわぁんわぁんと泣いてしまった。
振り返ってみると、私の精一杯の抵抗だったのだろう。それと同時に、誰かに見つけて欲しいという気持ちもあったのかもしれない。言うまでもなく、先生には「元気になるために頑張られへんのやったら、すぐに退院させてあげる」、「元気になって欲しいと思ってくれている人たちを心配させたらあかん」とこっぴどく叱られた。
私は自分のしたことを棚に上げ、先生を睨んで「もうちょっとだけしか、頑張れへんから」と返事をしたのを憶えている。大人になった今の私からすると、ただの生意気な子供のはかない抵抗だ。
退院のキッカケ
谷池雅子先生のアドバイスが退院のキッカケとなった。ましになった関節痛、赤く腫れた指や三八度ほどの発熱の症状は継続していたが、このままだと私が学校生活も知らずに、友達もできずに育ってしまうのを懸念して下さったうえでのアドバイスだった。