アレキサンダーの東方遠征

ギリシャの衰退後、マケドニアのアレキサンダー大王(B.C.356〜B.C.323)の東方遠征があった。彼は、インドまで遠征したが、戦い疲れた部下の帰還要求によって、それ以上は進まず、撤退したといわれている(彼は帰途の途中、バビロンで病死した)。

彼の部隊が強かったのは、ファランクス(現在軍艦の接近する攻撃ミサイルへの自動防衛システムにこの名が使われている。

フォークランド紛争でアルゼンチン軍のフランス製の対艦エグゾセミサイルが、英国艦隊に大打撃を与えたが、これらに対抗するためのミサイルからの軍艦防衛システムであり、密集防御の発想からの命名であったのであろう。

アレキサンダーのファランクスを知らなければ、逆立ちしても出てくる名前ではない。軍隊用語だから、戦史研究者の命名であろうか)と呼ばれる、密集方陣長槍部隊での戦闘であったといわれる。これによって、他を圧倒し蹴散らした。

このアレキサンダーの東方遠征により、古代ギリシャ文明と古代オリエント文明が一体融合しオリエント文明(ヘレニズム)となり、この地域が文化文明的に一体化した。

この文化の影響は東方へも伝わり、インド・中国そして日本にも影響し、初期の仏像にギリシャ的影響を見る事が出来る。アレキサンダー大王の死後、彼の部下が征服地を分けて、それぞれの王国(エジプト・シリア・マケドニア)を造った。

 

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