【前回の記事を読む】社会の中の殺人の歴史。人類は互いに殺人をしない文化に向かうのか、または殺人を行う文化に向かうのか…

3.もしあの世がないとしたら、殺人についてどのように考えるか

3.2 過酷な状態

戦い、互いにその奇跡的な命に敬意を払うような生き方

武士道

学生: そういう場所で生まれてこなくてよかったと思います。

津村: それでは、あなたがそういう虐殺の場で生まれてきたとしたらどうしますか? 殺人をする側か、殺される側かにもよるかと思いますが。

学生: どちらも嫌です。

津村: そんな過酷な状態の中で生きている人たちもいるということです。1章で話しましたが、世の中には生きることに精一杯で、いかに生きるかを考える余裕もない人々も多いことを忘れないでほしいです。

私もそういう世界とは違う平和な世の中で生きてきましたので、そういう方々の奇跡の命(意識)をどのように考えるかは非常に難しいです。

ただ、奇跡の命(意識)という意識が、殺人をする側にあれば、虐殺の被害も軽減されるであろうし、まだ話していませんが、殺される側もその短い期間をより有意義に過ごせるかもしれない。

繰り返しますが、虐殺のない平和な世界がきてほしいと私も思います。しかし、淘汰の仕組み(淘汰の神様と言ってもよいかも)が、どういった文化を残すか、環境なども変化する中で、なかなか見えないものです。

虐殺のない平和な世界が残ってほしいけれど、現代において軍事政権が淘汰されていないところを見ると、虐殺のない平和な世界が残る確信は持てません。

学生: 先生、またスケールの大きい話になりました。ちょっとついていけないです。