寛弘五年十一月――里居
御前の池に、水鳥どもの日々におほくなりゆくを見つつ、入らせたまはぬさきに雪降らなむ、この御前の有様、いかにをかしからむと思ふに、あからさまにまかでたるほど、二日ばかりありてしも雪は降るものか。(一六九)
草子作りが終わって、作者が里へ帰ったのは、十一月十日か十一日ではないかと考えられる。里へ帰って二日ほどで雪が降り、雪の後も二日か三日里にいるので、里にいた日数は五日か六日であると考えられる。
倫子の手紙で予定より早く帰ったというのは、十七日の還啓(かんけい)の当日帰る予定を十六日に早めたか、その前日に帰ったのではないかと思われる。
作者の里居は、十一月十日か十一日から十五日か十六日までの、七日の間の五日か六日であろうと考えられる。十一月はたまたま月に二回出仕したので、これまでは書かれることのなかった貴重な里居の様子が描かれることになった。
十一月の後半は、例年通りの出仕で、次のような多くの行事があった。
十七日 彰子の内裏への還啓・二十日 五節の舞
二十一日 寅の日・御前の試み・二十二日 童女御覧・二十八日 賀茂の臨時祭
十一月後半の日記の記事は、十七日から二十八日までの十二日間のものとなる。