当時の文壇は日本語の表現力の拡張をはかり、より社会進化を成し遂げていた欧米に追いつかんとする、最前線の戦場だったといえる。
そんな時代の期待の「超新星」であった芥川。そのまことに率直な青年の恋心が赤裸々で微笑ましい。文筆を生業(なりわい)とする、それも超著名な作家である芥川龍之介はいったい、どんな恋文をしたためたのか、と肩にやや力を入れて読み進めたけれど、非常にストレートで直接的、心情的で女性に対してのいたわりに満ちた心根が伝わってくる。
「そうか、口説くときはやさしさ一択か」と理屈ではなくわかる。現代の若者はこういう文章表現で男女関係を構築することは稀(まれ)になってきていると思うけれど、わたしたちの年代では「あなたからのラブレター、まだ持っているわよ(ニコッ)」という恐怖のコトバに弱い輩も多い。
芥川の率直な恋文、ほほえましく読ませていただいた。付け加えることはまったくない。ありがとうございました。
【天国に一番近い浜辺の「通風重視」軽建築】
こちらの「芥川荘」を見学したいと旅館本館を訪れたところ、女将さんとおぼしき方がいらっしゃって
「どうぞ見学ください。だけど台風に備えて雨戸を全部閉め切っていますから、申し訳ないがご自分で開けて、ご自由にごらんください」
というありがたい申し出。その傑作小説に深く親しんできていた作家の恋文執筆の地、という興味が強かったので、まずはその恋文を樹間の碑でしっかり読破させていただいた後、若き25才の文豪が滞在した「離れ」に。
建築としてのこの庵はまことに温暖・蒸暑地らしい建物。本体の図面などは見当たらなかったけれど、八畳2間に北側以外の3方向に縁が回っている建築。屋根は茅葺きで庇(ひさし)部分が張り出している。たぶん南国的な気候で時雨(しぐれ)が多く、その対応なのだろう。茅葺きは結構重厚ですが、もちろん夏期の日射による室内気温上昇を抑制したいというのが主目的。
冬期も零下までの気温低下は考えにくい地域性なので、まさに夏を旨とした日本文化的軽量建築。その上に横架材がわたされる「基礎杭」が現れていて、床下は全開放され蒸暑気候の中での耐久性を考えた「通風」最重視という考え方がよく表れている。
太平洋・九十九里の浜辺らしく地面は砂地であることがあきらかで、基礎杭は多少不同(ふどう)となっていて、縁の下部分などで多少の不同沈下(ふどうちんか)が見られている。
しかし、建物自体が軽量な造作なので確実に築100年は超えているけれど、乾燥状態が保たれた建物と目視確認することができた。
東大在学中からその文才を認められて作家として人生をスタートさせるというのは、その後、大江健三郎なども同様で日本文学作家の一典型にもなった経歴。まぁ大江の場合は芥川の場合の夏目漱石のように、「引き立て者」個人が明確ではなく芥川賞選考委員会総体であったけれど。
芥川というプラチナブランドの名付け親となった夏目漱石の激賞を受けた、この時期。ひとも羨むような恵まれた環境で人生を歩み始めた天才の、輝かしい時期にこの海浜の庵への逗留時期が重なっている。
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