【前回の記事を読む】勝利の歓声の裏で競馬場が騒然 桟敷席に警察が入り代行馬券を巡る混乱が起きた

惰走は駛走に変わる

「現れないと思ったら、そういうことだったのか」

「あんたが、あそこの方が見やすいとか、言うからだよ」

「それは申し訳ない」

「本当にそう思ってるなら、背広でも買いに来てくれ。元町通りの青木洋服店って店だ」

浅田が「わかった。必要になったら、そうさせてもらう」と言うと、青木は苦笑いする。

「ところで、春競馬も来るのかい?」

「生きていれば」

話しながら歩いているうちに、分かれ道まで来ていたようだ。

青木は「それじゃ、春競馬で」と苦笑いを引きずった顔で言って、元町方向へと歩いていった。

青木には示唆したものの、浅田にはもう競馬場を訪れるつもりはなかった。元々、工藤が考案したシノギがどうなるか、見届けることを目的として足を運んでいただけである。それが済んだ以上、訪れるべき理由はない。

話は二ヶ月前に遡る。

月頭の日に貸元と代貸とで寄合を持つ。浅田が貸元を務める仙石一家にはそういう慣例がある。明治五年の太陽暦の採用で日程がずれたこともあっただろう。

貸元か代貸のどちらかが不在で、持てないときもあったかもしれない。それでも、元号が弘化だった頃に一家が構えられて以降、決まり事は続いている。

もっとも、場所についての決まりはない。博徒の寄合という性質上、場所変えは避けられないからだ。明治二十一年九月の寄合は、野毛にある牛鍋屋で開いた。