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小学生になり、何が楽しかったかといえば毎日テレビを見る事だった。当時はまだ白黒テレビで、途中からカラーテレビになった記憶がある。
夏休みの朝一番にレースカーアニメの再放送が始まる。朝からテレビに向かって元気に主題歌を歌った。今思うと私が、ラジオの洋楽を聞きながらマイカーでドライブするのが好きなのは、幼少期にこのアニメを見て楽しんでいた事が影響しているんだとわかった。
面白い発見である。独身の頃は真紅のセダンに乗り、助手席に可愛いにわとりのぬいぐるみを座らせていた。ちなみに名前はコッコちゃん。通勤のため早朝から運転し、夜は遅くまで仕事をして、真っ暗な中また運転して帰った。
でも助手席にニコニコしたぬいぐるみが座っていてくれると、なぜか温かく和やかな気持ちになり、「さぁ、運転して帰ろうか!」と気合いも入った。ドライブスルーを利用して、ハンバーガーやポテト、コーヒーを飲みながら帰るのも幸せなひと時だった。
私はこの真紅のセダンを十万キロ以上乗って廃車した。女性の車とわかってか、車のボディに嫌がらせで長い傷をつけられてしまったこともあったが、私は最後まで大事に乗った。
最後、廃車の時に、ディーラーさんが私の車を運んで行く後ろ姿を見ていたら、心がジーンとして涙が出た。車が見えなくなるまで見送った。(本当にありがとう。一緒にいろんな所にドライブ出来て楽しかった)と心の中でつぶやいていた。愛車とお別れする寂しさをこの時初めて知った。
次に購入した車は白のワゴンカーだ。傷つけられないように、運転者が男性だと思われるように助手席にぬいぐるみは置かなかった。
元々、次に乗る車はワゴンにしようと思っていた。この時私は三十路を過ぎて、そろそろ結婚しようと思っていたからだ。子供が産まれたらベビーカーを載せるので、セダンよりもワゴンの方が良いという理由だ。
またこのワゴン車を購入する時に、間(あいだ)に入ってくれた社長さんが
「この車は長く乗れるぞ」
とアドバイスしてくれた。この社長さんはまだ六十歳ぐらいだったが、数年後に亡くなり、この言葉が私への遺言になってしまった。確かにこのワゴン車は丈夫で長持ちし、私との相性もピッタリだった。
一九九八年(平成十年) 初年度登録で、今現在も乗って四半世紀が過ぎた。今では自分の体の一部と思えるほどマッチしている。登録ナンバーが77(ナナナナ)で、私の車の購入後に500(ゴーゼロゼロ)代になった。
現在は578とか585代であるから、私の77ナンバーはどこの道を走っても見当らない。それほどまでに古い車となっている。しかし車愛好家としては、乗ることが出来るうちはこのご長老になったワゴン車をなかなか手放せないのである。
あの亡くなった社長さんも長く乗れると言ってくれてはいたが、既に二十五年も乗っている。まさか赤ちゃんだった娘が車の免許を取得して、私の車を運転するとは予想だにしなかった。